12月19日 朝

師走のこの時期、気になるのはやはり宅配便の増加量だ。年々、右肩上がりに増え続け、毎年、過去最高を更新している。日経の記事によると、再配達を利用したことのあるユーザーは全体の8割に上る。現状では4割が再配達になるという。記事には過酷な運転手の状況が綴られていた。はっきりいって人間の仕事ではない。ただ、宅配業者に対する人々の認識も変わってきて、最近では、ねぎらいの言葉をかけられることも多いらしい。再配達を利用するユーザーのほとんどは宅配ボックスの必要性を実感している。現実的に設置が難しい場合、コンビニエンスストアの出番となるが、負荷が分散されただけで根本的な解決にはいたらないだろう。なぜならコンビニ店員の作業量もすでにいっぱいいっぱいだからだ。イオンもレジで預金の引き出しができるようになるというし、レジ業務の煩雑さは増すばかりだ。今月、29日にはアマゾンがデジタルデーなるものを実施する。これが宅配業者にとってどのように作用するかわからないが、アマゾンがなにかひとつ企画をたてるたび、運送の現場は戦々恐々といったところだろうか。新たな可能性を模索し続けるショッピングサイト各社だが利便性の向上がもたらしたのは更なる利便性の追求という笑えない現実を目の当たりにしてなお、ユーザーは向上を求め続ける。バブル崩壊に突き進んだあの当時のように。個人的にも年末はネット通販頼みなので今年は早め早めの注文を心がけている。18日発売の酒ほそ最新刊がその日のうちに届き、さい先がいい。わがまま、せっかち、注文好き、ただただ申し訳ないが、この調子で頼みます、というしかない。
posted by せつな at 07:18Comment(0)日記

12月18日 朝

起こったことはすべて正しい、と最近、素直に思えるようになった。一見、失敗と思われることもよくよく見直すと、そこには小さな気づきがいくつも隠されている。しかも失敗と思われた体験は後に思い起こすと、ほとんどすべてがプラスに転化していることに思い至る。これは一般にセレンディピティと呼ばれており、実際に多くの場面で遭遇する真理だ。と同時に経済評論家の勝間和代氏の著作名にも似ている。自分が過去形なのに対しあちらは現在進行形。今著のなかに「目の前にあるパーソナル資産をなるべく有効活用する」という箇所があって、例として「エイラ――地上の旅人」シリーズを紹介している。古代を舞台にした冒険活劇だが、ざっと物語を紹介すると、エイラはクロマニヨン人で、生まれた村が地震で全滅したのち、偶然、そこを通りがかったネアンデルタール人に命を救われる。そのままネアンデルタール人の村で育つも、そこにはさまざまな葛藤があり、それでも愚痴らず、誹らず、ものともせず、与えられた環境のなかで自分の才能を生かし未来を切り拓いていく。昨日、たまたまルノワールの作品集を見返していて、ルノワールの日課というページを読んだ。ルノワールはパスカルの言葉を好んでよく引用していた。「人間に興味を抱かせたものはただひとつしかない。それは人間である」ルノワールの絵の多くが人物像で占めていることからもわかるように興味の対象は常に人間にあった。もちろん、生活費を稼ぐためという喫緊の事情もあり、フランスのブルジョワジーの人物画も多く残すが、そこには純粋な喜びがあった。そう、ルノワールは描くことを至上の歓びとした。これが他の画家との違いだ。ルノワールに必要なものは理屈ではなかった。21歳のとき、本格的に絵を学ぶため、エコールデボサールのグレールのアトリエに入ったルノワール。ある日、グレールはルノワールの製作振りをみて皮肉交じりに「キミは楽しんで絵を描いているようだね?」と訊ねる。ルノワールは快活にこう応えた。「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ」印象派の巨匠ルノワールにとってすべてをありのままに受け入れることこそが人生の重要なテーマだった。楽しいから描く。楽しくなければ描かない。そこには不自由な理論も固執する主張もない。先述した偶然とたまたまは実際は必然だった。エイラがネアンデルタール人に命を救われたことは偶然ではない。たまたま、ルノワールを手にしたわけでもない。すべては必然であり、起こるべくして起きた。ひとの一生は宿命づけられている。要はどのように受け止めるか。「人間に興味を抱かせたものはただひとつ」それはひとによっては大自然であったり、はたまた宇宙であったりもするのだろう。昔を思うと、他人の土俵ばかりで戦っていた気がする。ホストは向いていなかったし、集団社会は窒息寸前だったが、今、考えれば“今”を形成するためには、どれも必要な経験だった。神が与えたもうたパーソナル資産の有効活用。これが、このごろの関心事だ。晩年、リューマチで自由を失った手に絵筆を巻きつけ、それでも描くことをやめなかったルノワール。彼の絵には強力なヒントが隠されている。おそらくそれは多幸感だ。彼の絵には幸せしか感じない。
posted by せつな at 08:27Comment(0)日記

12月17日 朝

18日に酒ほその最新刊が発売される。事前予約で購入しているので早ければ19日には届く。よって、そのいっこまえの41巻を復習というか、一応、読み返している。第24話カンパーイで描かれた世界観が今時で改めて読むとおもしろい。とりあえずビールで乾杯という図式はもはや失われた文化なのかもしれない。ウィズニュースによるとビールの消費量は1994年をピークに現在では絶頂期の6割減にまで落ち込んでいるという。昔の夏は一杯目に命を賭ける酒のみだらけだったが、それも今は昔。近頃では酔うために飲むのではなく、楽しむために飲むのが主流で各自一杯目からそれぞれが飲みたい酒を注文し、他人の酒の到着を待つことなく勝手にやりはじめる。量もさほど飲まない。かつて一杯目といえば生ビールをおいて他になかった選択肢も嘘かほんとかカシスオレンジ、カルピスハイ、生搾りグレープフルーツ等の甘い酒でも許容されるという。若者の酒離れが叫ばれてひさしいがこうした甘い酒好き男子をカシス男子と呼ぶらしい。カシス男子の増殖は日本の酒文化をことごとく変えていくことだろうが、それはそれでいいような気もする。食の多様化が味覚の許容度を増したように誰もが決められたスタイルで一律に飲む時代ではないようだ。場末に追いやられたのは何も中年男性だけではなく、多くの喫煙者や多くの若年寄りも同様、変化に対応できない者の代表として時代に取り残されるのだろう。酒のみのくせに何ゆえこう達観的でいられるかというと、やはり数々のスクラップ&ビルドを見てきたからだとおもう。古きよき時代はたしかにあったし、懐古趣味といわれればそのとおりだが、それでも新しいものを受け入れて今、この時代を生きている。結句、そんなものだとおもう。自分は自分の酒を飲むだけ。それでいい。
posted by せつな at 07:23Comment(0)日記