12月25日 朝

12月25日の朝は毎年、幸福感に包まれている。今朝もそうだ。昨夜は明石家サンタを観ながらケーキを食べた。クリスマスが終わると途端に年末モードは進行する。世の中ががらっと変わる。「今年も押し迫ったねえ」「押し詰まりましたなあ」なんて挨拶がそこらじゅうで交わされるこの時期、ハードバップという雑誌をたまたま手に取った。サブタイトルが「走って叫んで転がってくぜコノヤロー!!号」とある。道楽というバイカー雑誌のまとめ本か何かで第一号発刊らしい。今後も発売されるのかもしれない。冒頭はヒロト。続いてギターウルフセイジ。おまけにニートビーツマナベとバイカーズロックファンにとってたまらないラインナップの目白押しといえる内容だった。特にセイジのブルーカラーのゼッツーは以前、youtubeで見たときも感じたが、あいかわらず輝いていて、限りなく透明に近いブルーといった風合いをかもし出していた。ほかにカワサキに特化した雑誌も置かれていて若いとき憧れだったゼッツーを6年前に購入したというおじいちゃんの写真が載っていた。ハーレーでツーリングするようなおじいちゃんではなく、農場で長靴を履いて田植えをしているような感じのひとがそのまんまの格好でゼッツーにまたがっていた。いかにも歯なしか入れ歯だ。昨今、ロックンロールも息が長くなってきて若造だけのアイテムではなくなった。ロックとバイク。共通するのは爆音だ。爆音に心躍らされる世代が今後も増え続けるのだろう。ちょっと前にある雑誌のインタビューで「おれ今日バイク」の歌詞について甲本ヒロト氏が説明していた。いろいろあるけど、バイク乗ってるからいいよね、というような解釈だったように記憶している。これが、よかった。つまずいたけどバイク乗ってるからいいよね、禿げてるけどロックしてるからいいじゃん、会社クビになったけどロックンロールだからさ、家ないけどバイクあるからいいかな。100万回くらいオーディション落ちてるけどバイク乗ってるからいいよね。バイトの面接通らないけどロックしとくわ、体重100キロ超えたけどバイク乗れるからさ、このままいくと肝硬変だってロックだよね。なんとでもなる。バイクとロックの相性は当然として、酒とロックのつながりも申し分ない。酔っ払ってのラモーンズバッキングは鬱にも躁にも効くすべての特効薬だ。パーカー風に表現すると、まったくこいつほど役に立つものはないな、の境地だ。飲酒運転と人身事故で免許を取り消されたことのある多くのはみだしもののひとりとして誓う。安全を誓う。バイクに誓う。風になっても星にはなるな。来年の目標は2りんかんで中古バイクを買うことだ。
posted by せつな at 08:30Comment(0)日記

12月24日 深夜

最近、出かける際、トニーラマばかり履いている。わかるひとはわかるので説明しないが、ひと目でロックンロールでパンクなやつと合点がいくような格好を好んでほっつき歩いている。クリスマスはジョージコックスのラバーを履く。正月はドクターマーチンかもしれない。これでゼッツーかイナズマがあれば申し分ないが、ないのでブーツと革ジャンで闊歩する。まるでスタークラブのハイパーロックを地でいくような毎日だ。ビックコミックスで連載中の「そのたくさんが愛のなか」は「サラリーマン拝」が終わって茫然自失としていた自分にとって最高の朗報だった。吉田聡という稀代の漫画家が放つ舌鋒は往年のファンの胸を鋭く打って重厚な余韻を残す。「見たことと聞いたことだけで残りの人生を過ごせばいいさ」主人公、すわのひとことは日々の安寧に眠っていた同級生の心を突き動かす。56才になった大人たちの奮闘する姿はドラマ3匹のおっさんをじゃっかん彷彿とさせるが正直、向こうをはるかに凌ぐ緻密さだ。すわのSR400が自分にとってのトニーラマとすると、青春がまたはじまったような気がしないでもない。ちなみに物語にはあの権田二毛作がグレートGと名乗り登場する。権田はあいかわらず権田で権田以外の何者でもない。登場人物たちが浴びせる言葉の洪水のなかで読者は最初、とまどう。ひとことひとことが常に胸に響くからだ。すわの叫びは軽いようでいてひたすら重い。長い年月の間に失ってしまった心の機微、置き忘れていつしか見向きもしなくなったいつかの残影、夢見た未来とは違う未来を生きている実感、もちろん、物理的にそこには髪の毛や体力の喪失感も含まれる。そうした現実に翻弄されつつもオヤジたちはまた新たな生き方を模索する。そう、すわの出戻りによってかつての仲間たちにも少しずつ日常に色が添えられていく。それはセブンティーズを全力で駆け抜けた筆者の魂の揺さぶりにも通ずる。これを傑作と称さずして何が傑作か。
posted by せつな at 05:00Comment(0)日記

12月23日 早朝

天皇陛下万歳。本日、23日は天皇誕生日だ。陛下のご生誕日を心より奉祝申し上げます。もしかすると再来年は祝日でなくなるかもしれないが、今年は日の並びがよくて何か特別めいた予感がある。そろそろ年惜しむ頃、冬至のゆず湯に今年を思い、次のイベントはクリスマスとなるが、最近、若者の○○離れもすっかり定着した感があるようにクリスマス離れも例外ではない。クリスマスが別格だった時代はもはや往昔の彼方にある。それで思い出すのがバブル期の映画「バカヤロー!3 へんなやつら」で、今ちょっと調べてみたら第4話にある「クリスマスなんか大嫌い」というこの時期をにぎわすクレイジーケンバンドの名曲と同じタイトルのお話。ざっとあらすじを紹介すると、東京の郊外に寂れた商店街があって、そこの跡取りたちにとってクリスマスは店の手伝いをする日。なんとか店を抜け出し都心でおしゃれなクリスマスを過ごそうと画策する若者たちのなかにあって、薬屋の息子、永瀬正敏氏演じる正だけは商店街に残り、イブの夜を盛り上げる方法を考えていた。都心でクリスマスを過ごす若者たちは現実を思い知る。どこもかしこも混雑。そのうえ特別料金。質の低いサービス。幻滅、落胆、失望。挙句に都会の若者たちに馬鹿にされ、さんざんな目に遭い、地元商店街へいそいそと戻る。すると、商店街は見違えていた。装飾、クリスマスイルミネーション。それぞれの店の特性を活かした各種のイベントが繰り広げられていて、たくさんの人だかりがあり、きらびやかで温かい光景が広がっている。サンタクロースに扮した正が歌いながら皆を迎える。そして、マイク片手に、へんなクリスマスなんかバカヤローと叫ぶ。その場にいた人々も次々にバカヤローと絶叫しはじめ、エンディング。聞くところによれば、クリスマスが盛り上がり始めたのは高度成長期にあるという。映画「戦場のメリークリスマス」をみるとすでに認知はされていたようだが、盛り上がりをみせたのはやはり戦後、1億総中流社会が浸透しはじめた時期とみていい。クリスマスツリーを飾り、七面鳥ではなく、日本流にチキンとケーキを食べる。大人はシャンパン、子供はシャンメリー、恋人や友人や子供にプレゼントを渡し渡され共に心やすらぐときを過ごす。馳星周の小説にでてくる支那人のセリフがこの時期を象徴している。「なんで日本人がクリスマスを祝うかだって?おれに訊くなよ。おれだってわかんないんだからさ」やがて85年のプラザ合意を経て、バブル期が訪れる。聖なる夜が性なる夜でさあ、と稲中にも出てくるようにクリスマスはいびつに変質を遂げていく。半年前にホテルと夜景の見えるレストランを予約し、レンタルしたリムジンで男はエスコートし、女性はドレスを着飾る。そこには残酷な選別があり、日付をまたぐ本命とランチ時に逢いプレゼントだけをせしめる脇役に分かれる。アッシーくん、メッシーくん、みつぐくんが俗語として飛び交う時勢。バブルが終わる。失われた20年の間に若者はクリスマスを捨てた。
posted by せつな at 06:58Comment(0)日記