5月31日 午前

今日、5月31日は世界禁煙デーだ。この日にタバコをやめた。今でも鮮明に覚えている。31日の朝、最後の一本を吸ったあと、残っていたタバコを箱ごと捨てた。昼過ぎから禁断症状で眠くて仕方なかったが、なんとかその日を乗り切った。そして、一日、また一日と時を重ね、タバコのない生活を手に入れた。煙の奴隷から解放された記念すべき日、それが5月31日だ。たまたま昨日、目にした掲示物にタバコのすさまじい有害物質の一覧が載っていた。他にも、タバコ一本、3分として吸引で失われる時間を示すグラフ、喫煙が原因とされる疾患の一覧もあった。無知は罪悪だ。若者のたいていの頭の中が空っぽなようにかつての自分も白痴だったのだろう。卒煙して取るべき対策はたったひとつしかない。受動喫煙対策だ。タバコ規制の声が強まるなか、喫煙者は相変わらずほがらかなものだが、それでも喫煙、禁煙と隔てられた場所においては別段、害はない。困るのは路上喫煙や歩きタバコの煙だ。他にもホタル族という種族もいるが、たとえばハワイではベランダでの喫煙は許可されていない。吸いたければ窓を閉めきり、自宅の部屋のなかでどうぞということだ。厚労省と自民党の対立でなかなか受動喫煙対策の法案提出が進まない。路上喫煙に対する過料の徴収もうまくいってないらしい。でたらめの住所と偽名を使えば済むからだ。喫煙者の権利を守るために嫌煙者保護は後回しにされてきたが、それでも健康増進法を皮切りに一歩、また一歩と喫煙場所は減ってきた。東京オリンピックが起点となり価値観の変化はますます加速していくだろう。
posted by せつな at 11:01日記

5月30日 早朝

新聞の広告欄は毎日、無数の新刊本を紹介している。そのなかでふっと目に止まるものがいくつかあって、気になったものを本屋で探す。先日もそう。堀江貴文氏の新刊「多動力」を探して手にした。そして、たいていの話題本と同様にその場で読み終えてしまった。この本の場合、1時間20分で読了した。出版界の敵だが、最近の本屋はどこも座るスペースがあるので、自宅で読むのと大して変わらない。たばこをやめて本当によかった。本作は氏の多くの著作の踏襲というか延長戦上のような内容で、まあ、それは読了後の感想だが、なぜ、多動力という言葉に惹かれたか、なぜ、作品紹介の内容に惹かれたか、考え方としてまったく自分と同じだと感じたからだ。実際、書かれていることは素直に頷けるものばかりだった。共通する感覚としては時間は有限だということを認識しているか否か。人生は無尽蔵に存在するわけではない。いまどき、電話なんて活用するひといるの?また、時間と共に問題なのが性格だ。性向といったほうがいいか。自分の場合、同時進行のほうが明らかにパフォーマンスは上がる。ひとつのことをこつこつ進めるような仕事や遊びは向いていない。なぜか?飽きてしまうからだ。AB型も関係するだろうか。他人はそれをわがままと呼ぶかもしれないが、どうでもよくなった。あるとき、自分は自分だと悟った。2足のわらじとよくいうがわらじは何足もあるほうがいい。本を読むときも長編は同時進行で5,6冊づつ読み進める。短編ならすぐ読み終えてしまうが、次の本はすでに手元にある状態を常に保っている。肩書きにこだわる時代は終わった。自分は何者かを定義する必要などない。かといって、一意専心や一点豪華主義を否定する気も毛頭ない。ひとそれぞれだと思うからだ。ついこの間、元サッカー選手の著名人が濃い人生こそ重要みたいなことをいっていたが、濃い人生とはなんだろう。30年、修行することだろうか。30回、転職することだろうか。はたまた30個のプロジェクトを同時に進めることだろうか。のちのちに書くかもしれないが、濃い人生と薄い人生を意味づけるのはあくまで主観だ。誰だって他人の人生は生きられない。だからこそ自分のスタイルに沿った24時間を過ごすほうがいい。ただ、ひたすらに興味の赴くまままず動く。結果はどうあれ、何かは得る。多動力の最後は確かこんな感じだ。とにかく動け。今すぐ動け。
posted by せつな at 07:06日記

5月29日 午前中

6月3日から民法が変わる。かつて水商売を生業とする者にとって、もっとも身近な法律といえば掛売りの時効だった。飲み屋のツケは1年で消滅する。これが改正され、5年に延びる。紙面は他にもいくつか卑近な例を載せていたが、生活に密着した点で重視すべきは賃貸住宅の敷金返還ルールの設定だ。トラブルの元だった敷金返還の基準だが、あやふやだった解釈を透明化し、原則、返還が義務付けられる。壁のヨゴレや畳の変色などもすべて貸主負担で統一される。また、お人よしや世間知らずをさんざん泣かしてきた連帯保証制度も個人が保証人になる場合、公証人による意思の確認が必要になる。つまり、押印しただけの保証書や白紙の委任状はすべて無効ということだ。「知らぬ間に保証人になっていた」はこれから通用しない。「連帯保証人の意味を把握していなかった」「こんなことは最初に書いていなかった」も同様、制度は成立しない。消費者保護がより重視され、ひとの生き血をこやしに太った悪徳団体および個人はより生存が難しくなる。ミナミの帝王に出てくるようなクーリングオフ制度を悪用した事例も消費者契約法の改正に伴って今後、激減するはずだ。逆にミナミの帝王的な誤解、誤認を利用した引っ掛けも今後は通用しない。民法制定以来、約120年ぶりの抜本的見直しという。まだ詳しく全容を把握していないが朗報には違いないだろう。この国の発展を考えるとき、必要なのは明確なルール作りだ。イエスはノーの意味でノーはイエスの意味だったこれまでのいたちごっこは終わりを告げる。法の網をかいくぐるような犯罪が多発する時代は終わった。日本はまもなく変わる。
posted by せつな at 11:07日記