2月25日 朝

大杉れんさんに続き名バイプレイヤーがまたひとりいなくなった。左とんぺいさんといえば、やはり思い出すのは西遊記だろうか。最近もずっとテレビドラマで見ていた気がする俳優だったが、これだけ続々、悲報に触れると、平成もいよいよ終わるのかなとしんみりした心持ちになる。天国がにぎやかだ。でも、この考え方は捨てよう。まだまだこの世界でやりたいことがある。最近の筆頭がdtmだ。いろいろ勉強していて、ヘッドフォンをクリアして今やっとスピーカーのところまできた感じ。自己満足でいい。否、自己満足こそがすべてだ。とにかく生きている間にできるだけ多くの作品を残したい。昔から自他ともに認める器用貧乏の自覚はあるが、要はバイプレイヤーなのだと自分に言い聞かせる。とたんに気が楽になる。実際はバイプレイヤーといえど、その一瞬一瞬に命がけで臨んでいて、結果としてさまざまなペルソナを持つに過ぎない。こうありたい、こういきたい、無限大でいいともおもう。されど、悪い意味でどっちつかずになってもいけない。ただひとついえることは、その瞬間は真実だということだ。まもなく桜の季節を迎える。毎年のことだが、儚さは加速するように加齢と重なる。もちろんそんなものは言い訳でしかない。年齢などただの数字だからだ。ただ確実に経験値は積んでいく。今まで見ていた世界が今までと同じように存在するはずもない。若いころはそれがわからない。母親は永遠に生きていると思っていた。映画で見たひとや実際に出会ったひとたち。通りすぎた風景。あの場所、あの建物、あの公園。散る桜、残る桜も散る桜。今を懸命に生きるだけだ。

2月24日 朝

国歌斉唱をめぐって大阪府の元教員がまたも騒ぎを起こしている。元教員は大阪府を相手取って550万円の損害賠償を要求。昨日、提訴した。訴状によると、定年退職を控えた昨年1月に勤務先の校長から「起立斉唱の職務命令に従うかどうか、ハイ、か、イイエ、で答えなさい」と訊かれ「そのような問いには答えられない」と返答。府教委は同3月に「職務命令に従う意識が希薄」として4月からの再任用を不承。この元教諭は訴状で「起立斉唱の意向確認は思想良心の自由を侵害するもの」とし、精神的苦痛への慰謝料や得られたはずの給与相当額の支払いを要求している。検索すると、まあ出るわ出るわ。イヤなものはイヤ、おかしいことはおかしい。これが生徒や同僚に届けたいメッセージの原点――らしい。これが教師だという。笑わせてくれる。高校生に何を教えるというのか。芦間高校の生徒たちは大合唱してほしいものだ。イヤナモノハイヤ、おかしいものはおかしい、と。構造としては暴対法適用時の暴力団の主張と類似する。かつて暴対法にたくみまさる氏が一石を投じた戦術は憲法の基本的人権、思想信条の自由を盾にしたものだった。結果はどうだったか改めて記す必要もない。この国の法解釈は最高裁の判断にゆだねられている。最高裁の人選に是非はあるが、それは別問題であるので割愛するとして、最高裁はすでに合憲の判断を下している。具体的に憲法19条には違反するといえないとしているのだ。改めて当時の日経新聞に載っていた最高裁判決の要旨をじっくりと読んでみた。なるほど。長くなるので引用は避けるが、結論として完膚なきまでにしりぞけている。今回も判例に則って当然の結果が下されるが、要は騒ぎを起こして世間の注目を集めたいだけなのだろう。こうした手法はサヨク教職員の得意とするところで、過去、何度も同じ手法を目にしてきた。負けるとわかっていながら訴訟を起こし、それを朝日新聞が大々的に取り上げ、世間の知るところとなる。しかしながら、そのつど、逆の思惑に世論は傾いていったと記憶している。当然だろう。おかしいものはおかしいの縄墨がそもそも異次元なのだから。
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2月23日 朝

世の中やはり金あまりなのかポイントやらやたら無料と銘打った催しが多い。ソフトバンク、auに続いてDOCOMOも商品クーポンをはじめる。ハピチャンと題するキャンペーンはとりあえず3月から6月の間、実施される。特徴的なのは他のスマホユーザーとは違い、期間中ならいつでも受け取れるという点だ。ソフトバンクのスーパーFRIDAYが混雑を極めた反省点から引換券方式も併用したが、DOCOMO広報部は最初から実施日を指定しない理由を混雑を防ぐためと説明している。懸命な判断だとおもう。特定の日を制定する必要がはたしてあるのだろうか。今日はくしくもプレミアムフライデー。制定日からそろそろ1年ぐらいたつのではないか。恩恵を受けているのは相変わらず一部の企業に限るようだが、そもそも価値観がめまぐるしく移り変わっている昨今の日本でこうした取り組みが消費の起爆剤になるとは考えにくい。当初からわかっていたことだ。最大の失敗は月末の金曜日に設定したこと。これに尽きる。総務相の一部ではこれを月始めにに移すとか、別の案を示してもいるが、なにゆえ一律にしたがるのか。何度もいうが時代は変わった。もともと米国のブラックFRIDAYに倣った取り組みだが、当の米国もサイバーマンデーのほうが売り上げ高は多い。マンデーと名付けてはいるが、要は決められた日時に消費は喚起されないということであり、商戦は手を変え品を変え舞台を変え確実に移り変わっている。プレミアムフライデーなるまやかしにそろそろ終止符を打ってもっと柔軟性のある施策を打ち出すほうが消費を刺激するだろう。総務相はいさぎよく失敗を認め、名ばかりのイベントは今月で終わりにしてほしいものだ。DOCOMOユーザーにとっては朗報のキャンペーンだが、他のユーザーとは異なり対象は25才以下だという。時代に逆行している気もするが新年度の需要喚起の意味合いが強いのだろう。26日からはMcDonald'sが無料でコーヒーを提供する。3月に入るとすぐにスーちゃん祭。その前に丸亀の一日うどんに行って。それが終わるとヴィレヴァン祭り。ああ、いそがしい。西へ東へ多忙な毎日だ。
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2月22日 午前中

2月22日は竹島の日だ。領土を守ることは国民の生命と財産を守ること。国民の生命と財産によって国家は成立している。決して譲ってはならない最低ライン。それが竹島の防衛だ。実質的には敵性国家に占拠を許しており、事実上の奪還となる。もともと、なにゆえ2月22日を竹島の日と制定したのか。それは、1905年2月22日に島根県が竹島の編入を告示したからだ。これからみてもわかるように日本政府の主張の正当性はゆるぎない。昨年の小中学校の改定案と同様、今年から高校の教科書にも竹島を日本固有の領土とはっきり明記する。遅すぎるきらいは無論あるが、それは当たり前の文言に過ぎなかったからともいえる。ここにきて、その当たり前は南コリという敵性国家をつけ上がらせ、見苦しい乞食根性を増長させてしまった悔悟の情を認めざるを得なくなった。その反省ゆえの明記だが、今後は当たり前の国家観をより当たり前に主張できる日本人が続々と育つことになる。道徳授業の一環として新たに新設された公共ではより深く領土問題を扱う。こうした授業に免疫のない古びた世代、しょうふくていつるべ氏のような人間の説得力が駆逐されていくことを願う。なおざりにしてきた竹島問題のせいで多くの日本人が怒りに沸いている。歴史を紐解けば、明るみに出る真実もなぜか日の目をみない。相変わらず、不当の主張とだけ叫び、事実問題には触れない南コリの抗議などゴミと同じだ。捨て置けばいい。すでにまともな国家の体も成していない。日本は日本人に適切に自国領土の大切さを徹底的に認識させる。なぜ戦後、駅前にパチンコ屋ばかりが乱立したのか。被害者がいるにもかかわらず、なぜ、三国人犯罪の多くが解決に至っていないのか。その答えの先に領土問題があるといえば言い過ぎか。しかるに日本は放置しすぎていたのだ。解決の糸口をつかむにはまずは思考からだ。思考が行動を生む。そして、行動だけが世界を変える。いざ。
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2月21日 午前中

ひさしぶりに焼肉食べ放題に行って肉を100人前ぐらい食べた。ランチタイムでそれぐらい摂取すると、夜はさすがに食事がいらなかった。酒は呑んだが、あては最後までノリの佃煮だ。ノリの佃煮を舌にのせ酒を浴びるほど呑んでいると、youチューブで竹原氏のアメージンググレイスをみつけた。何回、聴いても涙が止まらない。最後のくだりで、そのつど、涙が溢れ出す。いい歌詞といいメロディ、構成力、伏線、そして、なにより必要なのは表現力だと改めて知った。以前、ヒロト氏がいっていたことを思い出した。ロックにたずさわるうえで、もっとも大切なのは表現者のまえにいいリスナーであること。ロックの初期衝動からずいぶん経ち、こういったシンプルな情熱が薄れていた気がする。音楽でひとさまを感動させたければ、感動する音楽にたくさん出会うこと。うまくなりたければ、うまいひとを聴くこと。へたでいたければ練習しないこと。ちょっと違うか。ドアーズだったと思う。他人が寂しくみえるとき、それは自分が寂しいからだ。他人が幸せにみえるとき、それは自分が幸せだからだ。こんな歌詞がある。今、まさにそんな感じで、ユーチューブやその他、動画サイトや生配信のおかげか、最近、いろいろな新しい音に出会う。それは、たぶん自分が新たな音を求めているからのような気がする。新たな音は別に時代性を問わない。1950年代の音に感動したりもするし、知らなかったジャンルに驚いたりもする。ニューヨークタイムズの記事によると、14歳のときに聴いた音楽がその後の音楽の好みに多大な影響を与えるという。この研究はセスステファンズデービッドウィッツというデータ科学者によって成された。研究によると、20歳のときに聴く音楽は10代のときに聴いた音楽に比べ半分ほどの影響しかないらしい。中二病を自負する自分だが、そういうことだったのかと今さらながら合点がいった。一本、図太い骨格が今でもずっと同じ状態で聳え立っていて、その周りを肉付けていっているようなそんな感じ。もっともっと新たな音楽、ひいては新たな存在に出会いたいと思う。
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2月20日 朝

睡眠に関するニュースで気になるものがあった。東大の研究グループが睡眠中のクールダウンがどのように行われるかを解明した。海馬の神経細胞数には限りがあるため、情報が蓄積していけばいずれ飽和状態となる。その状態を回避する機能、すなわち何らかのクールダウンの機構が海馬に備わっていると長年、予想されていた。今般、研究グループはその仕組みを解明したわけだが、やり方としてはシャープウェイブリップルと呼ばれる脳波を人工的に発生させる脳スライスを用い、シナプスに与える影響を調べる。その結果、脳波が睡眠中のニューロン同士のつながりを弱めることがわかった。この現象は寝る直前に学習した情報には作用しなかった。つまり脳は必要な情報はそんたくし残し、不要なシナプスを弱めることで記憶の空き容量をつねに確保していると考えられる。またマウスを使った実験では脳波を意図的に7時間阻害すると、睡眠をとっているにも関わらず、マウスの脳回路は寝不足と同じような状態になることもわかった。パソコンのデフラグやメモリの開放の精密版ととらえるとわかりやすい。人間も機械も同じといったところか。せんもうや社会性の欠如といったさまざまな欠陥症状の背景には睡眠中の脳波の乱れが関与していることはすでに解明済みという。人間はなぜ眠るのか。疲れを取るだけなら横になっていればほぼ回復するという見解も以前、聞いたことがある。クールダウンの研究を進めることによって睡眠の常識が今後、劇的に変わるかもしれない。研究グループは仮説をたて欠陥症状を回復できる可能性についても模索していくというが、その先にあるのはもしかすると人類の永遠のテーマ不眠なのかもしれない。
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2月19日 昼

浴びるほど呑んで起きたら10時を過ぎていた。ジョギング行って朝食を済ませるともう昼になっている。それにしてもよく呑んだ。さて、新潮45の3月号を立ち読みしたらおもしろかった。特集は非常識国家南コリ。ゆがんだ教育が生む「選民意識」国民たち。「願望」史の国。日本が主張すべき10の史実。と銘打って数々の実例を挙げている。とにかくひどい。これが事実というのだからあきれを通り越して哀れですらある。ずいぶん前に日本の常識は世界の非常識と題しディスカウントジャパンを展開したゴミどもがいたが、日本の常識はつねに世界に先んじていた。土足よりはスリッパのほうが快適だし、熱い湯に浸かる愉楽をおぼえれば、ぬるい湯にはもう戻れないのだろう。蕎麦をすすったり、卵かけごはんを食べているときには優越感をおぼえる。ああ、日本人でよかった。ペリーの来航の目的を知れば、鯨料理をみて吐きそうといった欧米人も教育のたまものとしか思えないことだろう。下品な階級社会もわびさびを知る日本人からみれば興ざめしかない。捕鯨を規制しても拳銃は規制しないの?ばかなの?牛やガチョウを食べて勝手に拳銃を振り回していればいいものを最近はラーメン屋に列を成したりアニメに憧れて来日したり寿司で日本酒を一杯なんて悦楽を知ってしまって日本文化にもうとりこという外国人までいる始末だ。日本の常識がもっともっと幅広く世界のスタンダードになれば犯罪も減ることだろう。こうした日本の常識とは真逆なのがあの国の常識だと記事は訴えている。私利私欲に走ることが当たり前であり、悪いことをしても見つからなければよいとする社会。ソルロタンや粥の類は特に注意ともある。この記事を読んで、よもやあの国の料理を試そうという猛者はいないだろう。思い当たるふしはある。最近のノロウイルス騒動だ。とうとう選手にまで罹患者を出してしまったが、その背景を聞いて吐き気をおぼえた。おぞましい心持ちというか、正直、知らなければよかったとすら思えたほどだ。公徳心のかけらもない社会、誰もがつねにだまされないようにしなくてはいけないと身構えている総体的不信の社会。これを読むかぎり、儒教が健全な社会性を育むなどとはとうてい思えない。日本を徹底的に敵視する反面、日本を徹底的に模倣し、パクリまくる国。自国を誇り世界中が憧れているとうぬぼれるいっぽうでヘルチョソンと呼称し自らを呪う民族。読み終えて思うことは相当数あるが、有名なあのコピペを思い出した。日本人「ひとが嫌がることを進んでやります」コリアン「ひとが嫌がることを進んでやります」日本人「技術は教えてもらうものではなく盗むもの」コリアン「技術は教えてもらうものではなく盗むもの」
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2月18日 朝

帰ってきてたまたまテレビをつけると、フィギュアスケートの羽生氏が映っていた。なんという偶然か、やったとばかりに見入った。感嘆した。事前に聞いていたくまのぷーさんの雨あられも見ることができてよかった。続いてスペインの選手、続いて宇野選手。楽曲はトゥーランドット、誰も寝てはならぬ。パヴァロッティの歌声にいつも涙する興奮の一曲だ。はじめこそ失敗したが、その後は曲の盛り上がりに合わせヒートアップする、そのさまには誰もが目を奪われたことだろう。終わってみれば、金銀の日本人ワンツーフィニッシュ。日本人すごい。日本人でよかったと心の底から思える瞬間だった。また、羽生選手のみせた何気ない行動が賞賛の嵐と化している。インタビューを受ける際に手荷物を下ろそうとして「国旗、国旗だけ誰か、下に置くことはできないので」とのたまう姿がテレビに映った。国旗へ対する敬愛の念に涙の量も増すというものだ。涙はアジア各国にも及んだ。普段は侮辱一色の反日メディアがアジアの自尊心とまで報じる始末だ。いつものごとく、こういったときばかりアジア枠に与し擦り寄ってくるが、アジアがすごいのではなく、日本がすごいのですから、と江川しょうこ氏などは声を大に抗弁してほしいものだ。今朝はテレビで京都マラソンを鑑賞した。震災復興支援の目的ではじまった大会なので、スタート前に参加者全員で黙祷するのが風儀だ。無論、自分もテレビのまえでそれに倣った。誰かひとりを偲んで瞑目するわけではない。日本人として、なくなられた同胞に対して、哀悼の意を表して、静かに目を瞑る。同胞の訃報に悲しみ、はたまた、同胞の躍進を我がことのように喜ぶ。何がおかしい。それは最後に自分自身へと帰結する考え方の一環で何ら矛盾しない。伝わっただろうか。
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2月17日 朝

竹島は日本固有の領土です。こんな当たり前の事実に噛みつく新聞社がある。朝日と毎日だ。2月22日の竹島の日を目前に今一度、領土問題について考えたい。領土とはなにか。つまりは主権だ。主権とはなにか。主権は学習の途中に芽生える国家意識だ。国家意識を希薄にさせようと躍起な勢力が、ことあるごとに詭弁を弄し教育の邪魔立てをする。無論、いまにはじまった愚行でもないが、近頃の主張には開き直りしか感じられない。毎日新聞などはわざわざ朝鮮学校を卒業した朝鮮人薬剤師を召し抱え記事を書かせている。当然、視点はあちらからのものとなるが、いうにことかいてこの女性、政治的中立について持論を述べている。ハクチとしかいえない。毎日新聞にいたっては正直、確信犯としか思えないが、自社の思想に沿うような論説しか載せないのならそもそも中立性など論ずべきではない。日本政府は粛々として自国民に領土教育を徹底して施すだけでいい。略奪国の妄言に傾ける耳はない。改めて朝日と毎日に問いたい。竹島は日本固有の領土ですか?まずは自社の見解を前もって通知するのが使命というものだろう。新聞に期待するものなどほとんどないが。コインチェック騒動が新たな局面を迎えた。盗まれたネム580億円のうち、50億円がダークウェブを通じてすでに資金洗浄されてしまったという。ここまでくると残るネムも時間の問題といえる。コインチェックは終わった。あとは受動喫煙問題の骨子がほぼ固まったという読売の記事をみた。歯医者の待合室であくびしながら読んだだけなので、深く内容を理解できなかったが、やる気がないことだけは伝わった。最近は紙巻きタバコよりも電子タバコを吸っているひとをよくみかける。まったく知識がなくて水蒸気のようなものだと思っていたら、存外に臭い。紙巻きとは異なるが、あれを喫煙所以外で吸う風潮はどうかと思う。喫煙者に対する配慮は課税強化と喫煙場所のさらなる排除、いっそうの締め付けだけで事足りる。時代は変わったのだ。
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2月16日 朝

日本がベトナムでスマートタウンを手がけるということが最近、話題になっていて関連株も軒並み高騰している。スマートタウンの用語解説が昨日の日経新聞に載っていたので簡単に記しておく。これから先、人口の都市部集中がますます続くことが見込まれる。渋滞や混雑の緩和、利便性の向上などが急課題となる。これを解消するのがスマートタウンという考え方で、交通量を予測、計測したうえで効率的に信号を切り替えるようにしたり、太陽光を利用した蓄電池の活用や電力消費量そのものの抑制、センサーを活用した水質、騒音、大気汚染度の監視、自動運転車の導入など、IT技術を駆使した次世代型の都市のことを指す。スマートタウンの代表的な街と取り組みの一例も載っていた。コペンハーゲン。交通データを分析し、渋滞と二酸化炭素の排出を抑制。シンガポール。エネルギー使用量の見える化や自動運転技術の開発。マンチェスター。医療、健康、輸送、交通などに重点。サンフランシスコ。行政がデータを積極的に公開し、企業がサービスを開発、提供。バルセロナ。道路のセンサーと信号を連動させて交通事故を削減。等。日本の場合、今まで一部では参入したことはあったが、本格的に開発を手がけるのは今回がはじめての試みとなる。ベトナムが選ばれた背景には世界有数の親日国であることももちろんあるが、先の理由、すなわち人口の都市部集中の流れが本流にある。国連の推計によると、現在、世界人口の5割強に及ぶ都市人口の割合が2050年には7割弱に増える見込みという。誰だって思うところは同じで、貧しいよりは豊かなほうがいい。不便よりは便利なほうがいい。このふたつを満たすためには田舎より都市のほうが叶いやすい。ただ、都市部という意味では、日本は国土のほとんどが都市部化したと感じる。卑近な例では、男がつらいよとか、ツィゴイネルワイゼンなどの邦画をみるとわかりやすい。つい先日、youは何しに、を観たが、大分も長崎も完全に都市化していた。無論、全体とはいえないかもしれないが、それでも寅さんの生きた時代の風景ではない。とどのつまり、このふたつの考え方を合わせることによって生活はより豊かに、より便利に発展させることができる。田舎を都市に都市をスマートに。交通手段はトラムが主流となり、車の規制は今より厳しくなる。大阪ミナミに住んでいたころは、こういった考えには無頓着だった。郊外に引っ越すと、わりかしスマート化の波は肌で感じられる。田舎では車が必須かもしれないが、郊外となると事情は異なる。交通網も発達しているし、何より環境規制が厳しい。自治体の努力もあるし、実際に暮らす人々の意識も高い。ファミリー層がほとんどなので繁華街の常識は通用しない。しかし、大阪を例にすると、スマート化は着実に前進している。大阪市の取り組みが目に見えて変わったのはやはり維新のおかげだ。全国で最悪といわれた浄水は今では考えられないくらい向上した。地下鉄の民営化も今年4月からいよいよはじまるし、各路線拡張の工事も突き進んでいる。2020年には北大阪急行が延伸し、その後にはモノレールの延伸、さらにはリニアも待っている。17年案ではUSJまで乗換えが二回必要だった中ノ島線の延伸も現案では西九条までが有力だ。梅田からなんばまでの直通によりラピートへの接続も簡単になる。海岸線はコスモスクエアから舞洲、夢州がつながる。2025年の大阪万博もパリが辞退したことを受け、かなり有力視されている。エキスポシティも開業し、吹田スタジアムも始動した。以前、橋下前市長が掲げた御堂筋をトラムが走るという目標もそう遠くないはずだ。スマートタウン化への声は日本でも今後、ますます高まるだろう。まずはベトナムがその試金石となる。
posted by せつな at 08:27Comment(0)日記