10月17日 朝

ドラフトの日だ。おもえば去年のこの時期もドラフトの日にフォーカスした気がする。フォーカスってなんだろう。注目は桐蔭優勝立役者のふたり、根尾、藤原だった。今年は履正社の井上選手がプロ表明をしている。どこが獲るか。阪神は奥川に絞っているし、ほとんどの球団が佐々木、奥川を指名1位に挙げているのをみて、なんとなく楽天あたりが獲りそうな気がする。こうご期待。今週は世間的にはめまぐるしい。自分的にはおとなしい。明日の山口組若頭の出所を控え、市民生活も戦々恐々。台風の傷跡もいまだ全貌見えずで、被災された方の数も日に日に膨れ上がっている。まだ、結婚できない男の視聴率が前回より3.8ポイントダウン。ありゃ。ドラフト以外に明るいニュースを探す、探す、探すとあった。先月、日本を訪れた南コリ旅行者は昨年と比べて58.1パーセントの減少。いっぽう、先月、日本を訪れた外国人旅行者全体では5.2パーセントの増加。主要な国からの旅行者がいずれも増えている。これは朗報中の朗報といえるだろう。ラグビーワールドカップを観ていて、あの激しい肉弾戦をまえに心の平穏をおぼえるのはあの国が関わっていないことに尽きる。サッカーの日コリ戦はたとえ日本で開催されたとしても、もう観ることはない。勝っても不愉快。負けても不愉快。引き分けでもなお不愉快。とにかく試合が組まれること自体、不愉快という稀有な国であるとともに呼応する国内の勢力にも吐き気をもよおす。ラグビーにはそれがない。わが国の重大犯罪にはほとんどといっていいほどあの国とあの国出身の人物が関わっている。南コリからの旅行者が減ったことで、治安もよくなるし、その他の外国人も増えるし、いいことづくめだ。当初は眉唾だったが、ひじょうにすぐれたリーダーであることは間違いないブン大統領。末永く務めてほしいものだ。そろそろ即位礼正殿の儀だが、大村は腹を切れ。腐りきった腹を切れ。腹を切って、陛下にお詫びしろ。これは日本人全員の総意だ。あとはタレントの木下氏が姉の働いていたタピオカ店のオーナー夫妻に恫喝まがいのダイレクトメールを送った問題。ふむふむ。ふーん。へー。ナウいね。なるへそ。文章、読んだけど、これが一般人なら問題なかったのだろうなという感想。ただし、めっちゃ頭わるそう。

10月16日 朝

失敗した、と思うと、次の瞬間、これを教訓にするしかないと考える。こう切り替えると、失敗が失敗ではなくなる。失敗という概念が薄れる。反省するが、後悔しない、とは昔人の戒めだが、これはちょっと違う。反省もしない。すべてを肯定的に受け入れる。かつて陽明学として知られたこの教訓はかの西郷南洲も学んだれっきとした学問であり、時を経たいま、自分もこの学問に突き動かされている。陽明学の捉え方にはあまたあるが、突き詰めればここに至る。幸せの元とはたいてい小さな不幸の塊のなかに含まれていて、それはまるで宝石のように不幸の塊よりももっともっと小さな結晶に過ぎないかもしれない。この小さな結晶は無論、それを覆う鉱物よりは高価で価値があるとされている。ひとびとが宝石の輝きに吸い寄せられるのは案外、幸せに通ずる道に促されているような気もする。着飾ることは幸せだ。また、着飾らないことも幸せだ。大きな家に住む喜びもあれば、小さな家の温もりもあることを鑑みれば、宝石という輝きは万人にしっくりくる潤いに違いない。「疲れ、たどり着いた家、窓のあかり、まるでダイヤモンド」とハマショーが歌ったように価値観とはひとそれぞれの煌めきとして宿るものなのだ。泥酔した翌日など、記憶がぽつぽつとよみがえることがある。あ、やらかしたな、とか、言わなきゃよかった、と振り返るできごとも出てくる。しかし、長い目でみれば、これも教訓となる。いってよかった、に変わることもあるし、二度とやらない、と誓えることもあるからだ。あるひとはこれを自己弁護と呼ぶ。また、あるひとは責任転嫁とも表現する。あるいは言い訳と例えるひともいる。正当化と揶揄するひともいる。おーけー。どれも正しい。結句、自分と他者。同じ価値観を共有することもあれば、違う世界観を描くこともある。正論と理想論。サヨクとウヨク。老人と子供。過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。起きていることはすべて正しい。人間万事塞翁が馬。さあ、今日がはじまった。
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10月15日 午前中

ラグビー人気がすさまじいことになっている。先日のワールドカップ対スコットランド戦の平均視聴率が39.2パーセント。瞬間最高視聴率はなんと驚愕の53.7パーセントを記録するという近年では紅白歌合戦でも取れない数字をたたき出した。さらに、さらに、20日の日曜日には南アフリカ戦。勝ち上がれば27日の日曜日にも試合がある。決勝もたしか日曜日。えらいこっちゃ。とりあえずスコットランド戦では缶ビール13本でも足りなかったので1ケース用意する。テレビの前に鎮座し、ひたすらゴリラみたいに呑もうとおもう。昨日、ひさしぶりに不惑のスクラムを観たらおもしろかった。時間がなかったので全話みれなかったから今日の楽しみはこれだ。今朝もすずしかった。寒かった。自転車でさっそうと風になったら、気持ちよかったけれど、寒かった。自転車のいいところは自然を体感できることに尽きるが、自然はときに脅威となり、突風や豪雨をもたらす。そんななかで自転車を走らせても気持ちよくないので、そういう日は部屋にこもる。部屋にこもって何をするかというと、ラグビーを観る。ラグビーを観ながら何をやるかというと、ビールを呑む。どんなふうに呑むかというと、浴びるほど呑む。気を失うまで呑む。ゴリラになる。このとき、肴はなにがいいか。最近の悩みどころで、酒が決まって、友が決まって、場所が決まっても、肴がぴんとこない。ふりかけで呑みたくなることもあって、ただ、口開けはそれでよいとしても、手詰まり感が半端ではなく、結句、ふりかけのその後の展開を用意しなければならない。外で呑む酒にはこうした心配や憂慮がない。肴で迷うことがあまりない。妙な表現だが、比較的、勝手に決まる。そういえば、台風のなか、ドミノピザを頼むやからを何とかしてほしいという話題が盛り上がっていて、日本の場合、サービスに対する対価や認識がとぼしいと今更ながらしかめっつら。タッチパネル、セルフレジ、セルフサービス、無人ストア。とくにおっさんが目立つ。これからの世の中、淘汰されていく人種。ほんまに意味がわかっているのだろうか。本格的なAI時代を迎え、頼るべきは自分自身という思いを強化しなければ今の時代は容赦ない。そういうわけで、出前など言語道断。がんばって酒の肴を考えようとおもう。
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10月14日 午前中

ラグビーを応援しながら缶ビール13本、ワイン一本を空にした。日曜日は12週連続外食をしていたのだけど、でかけなくてよかった。本当によかった。声が嗄れた。涙で目が腫れぼったい。でも、最高の気分だ。初のベストエイト。スコットランドに勝利したことでランキングも7位に上げた。もう何がなんだかわからないまま目が覚めると7時だった。試合が終わった瞬間、歓喜の渦のなか、頽れるようにベッドに倒れこんだ。たぶん。一回も起きなかった。とにかく7時だった。今回、稲垣選手が代表初トライを決めた。その感想のセリフがよかった。「みんなでつないでくれてトライするのは、こんな気持ちなんだな」彼の座右の銘は「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」くー、しびれるぜ。名言は色褪せない。今日から座右の銘のひとつに付け加えよう。ワールドカップイヤーを目前にいろいろなキャンペーンがやっていて、そのひとつにあるドラマがあった。主演の丸川を演じる高橋かつのり氏は刑務所帰りの元ラガーマン。彼を受けれ入れるヤンチャーズのウタさん役に萩原ショーケン氏。ドラマ名は題して「不惑のスクラム」このドラマがすごくよかった。題名もよかった。ずん、と、きた。自分を振り返ると、ラグビー好きになったのはさる年配のひとの影響もあるのだが、やはりオールブラックスの存在が大きくて、観るのはたいてい外国のラグビーだった。それが近年、具体的には2015年のブレイブブロッサムから国内リーグにも興味を抱くようになった。ドラマはおそらくこのあたりに制作されたものだ。解説やあらすじは一切、飛ばすが、第三話だったか、まだ、一度もトライを決めたことのない二階堂が丸川に相談する。細かいセリフは忘れたけれど、トライを決めたら何か変わりますか?か、トライを決めたら何かが変わる、みたいな感じのセリフだったとおもう。この場面が印象に残っていて、細かいセリフを覚えていないにもかかわらず、自分なりにいろいろなシチュエーションに置き換えては思いだしたりしていた。何かをすれば、何かが変わる。何かを決めれば、何かが訪れる。何かになれば、何かが手に入る。などという形で。稲垣選手の代表初トライをみて、唐突にこの場面が脳裏をよぎった。夜の天王寺公園の階段のシーン。ラグビーはいい。今後、サッカーをしのぐ――かもしれない人気を獲得する――かもしれない。
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10月13日 午前中

台風一過の今朝は涼しい。肌寒いといっていいほどだ。夜が明けて、被害状況がいろいろ伝わってきた。事前にいわれていた暴風よりも今回は豪雨による災害がひどい。大型だったぶん、降水量も多く、ということは被災時間も長時間にわたるというわけで、となると、被害の全貌が判明するまでの時間もより多くかかる。日本に必要なものはとにかく「前もって、前もって」であり、いかな結果を迎えようと、この姿勢を今までのように揶揄してはならない。計画運休を実施したのは五年前がはじめてで、これで三回目であると、今朝の朝日新聞のコラムにあった。それによると、一回目は見逃し。二回目は三振とある。要約すると、計画運休に対するひとびとの意識は「意味がなかった」あるいは「大げさすぎた」という論調が当時は多数を占めた。だが、ときは流れ、計画運休の概念がそろそろ浸透した昨今、今回のような事前通告にひとびとの意識も変わった。帰宅困難にそなえ、着替えと洗面道具を持参するとか、あらかじめ家族と打ち合わせをしておくとか、個々人の判断はよりいっそうの成熟にいたったわけである。紐解くと、日本の歴史はいつも後追いだった。この国はいつもそうだった。もうひとつ付け加えるならば、外圧もそう。もう変わらなければならない。このまえデイブ氏がいいことをいっていた。米国の場合、予測に対しての備えが尋常ではない。被災想定場所を特定し、あらかじめトラック何十台かを配置しておく。結句、予測が外れても、撤退すればいいだけだ。用意周到の無駄に批判はない。なぜなら、当たり前という認識が市井にいきわたっているからだ。台風19号の接近に伴ってメディア各社、専門家、および解説者のほとんど全員が未曽有の被害を想定し、いまだかつて直面したことのない大型台風と報じた。前代未聞の60メートルの凶暴風。昨年の21号、先月の15号を上回る突風、と危機感を強めた。台風は上陸し、被災地は辛酸をなめたが、多くのひとびとの実感は「こんなもん?」だった。たしかに強風は吹き荒れた。豪雨は河川を決壊させた。しかし、当初の想定とはかなり違う印象だったことは皆がわかっている。そうして、はじまった。SNSでささやかれはじめた「ちょっと、大げさすぎたんじゃない」等の個人の感想。「養生テープの購入は無駄だった。食料品の備蓄は度が過ぎた。避難は意味がなかった。血税の損失だった。」おーけー。ぜんぶ間違いだ。備えあれば憂いなし。今朝の討論番組で桜井氏がいっていた。立民のひともいっていた。日本はあらたなステージに突入した。来年。再来年。もう後手後手はうんざりだ。やりすぎぐらいがちょうどいい。助かるための苦労は決して徒労におわらない。くだらないはそれこそくだらないのだ。不毛もない。無益もない。迂闊もない。無碍もない。無用もない。無意味でもない。すべての対策には意味があるのだ。
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10月12日 午前中

大阪の今朝はどしゃぶりで、台風の雨かというとそういう感じでもなく、ただ、ひたすらに雨量が多いといった具合で、こういう日の淀川は茶色く濁っているのだけど、波打った川面は龍をおもわせる凄みを帯びており、いままで濁流を怖いとおもったのは、というか、こわい、と記憶しているのは何年かまえの京都鴨川で、あの日も台風で、川床の足が呑みこまれていて、街は相変わらずの観光客の洪水だったが、足元では剛流が洪水がうなりを上げていたから、こわい、とおもったのだけれど、幸い何事もなく、ただのひとりも犠牲をだすことなく、いつもの静かな鴨川に変わったのをしばらくあとに訪れたとき、眺めていたら、不思議な心持ちに陥った。
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10月11日 朝

最強台風19号が日本列島に近づいている。まるでディープインパクトのような気分だ。三連休中の到来ということで、これをよかったと思うか、残念と思うかはそれぞれの判断だが、やたら週末に集中していると感じるのは気のせいだろうか。唯一の救いは気候のよさで、先月の千葉の被災はあの酷暑のなか、冷房が使えないという悲劇に見舞われたが、今は違う。10月も半ばとはいえ、タンクトップ半パン生活を営んでいる自分にとって、暑くもなく、寒くもなく、気持ちのいい陽気が続いている。もし電気が止まってもなんとかなりそう――かもしれない。さて、ノーベル賞受賞に沸く日本だが、最大の見ものは文学賞であって、例年、名前の挙がるあのひとは今年も受賞ならず。いつのまにか70歳の古希を過ぎていた。もうダメかもしらんね。これで残るは平和賞。わたしはマララ以来の10代受賞となるかもしれないが、選考委員もそこまでバカではないだろうことを祈る。昨年のムクウェゲ氏と比較すればするほど、ただの甘ったれたガキにしかみえない。もしガキが受賞すれば、ノーベル賞の格式もぐっと落ちることだろうぜ、と西村賢太風に結んで次。サッカー日本代表が6得点を挙げてアジア予選を快勝した。ちびっこJapanが空中戦で圧勝するなど、アジア特有の現象だが、このまえのアジアカップでのカタールなどみると、もはやそうもいってられない。アジアの場合、本番は最終予選なので、大迫が抜けている期間、いろいろ試すいいチャンスではあった。続いて、セブングループが3000人のリストラを決行するという。インターネットの登場は確実に世の中を塗り替えた。今後も塗り替え続ける。いつまでついていくことができることやら。慣れ親しんできた神戸そごうも神戸阪急になる。梅田も大阪梅田。河原町も京都河原町。柴原は阪大前柴原。わかりやすくなった反面、ほとんど、どんなこともそうだが、そこから情緒が消えていく。弱肉強食、資本主義、自然淘汰。それが生きているということだといわれれば、そうとしかいえない。
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10月10日 朝

日本人が見事ノーベル化学賞を受賞した。これで二年連続となる。受賞したのは吉野彰さん。大手化学メーカー旭化成の名誉フェローという肩書のひとで、なんと大阪府吹田市出身という。会見をみてもわかるようにこてこての関西人だ。授賞理由の詳細はいつものごとく難解な専門用語と複雑な理屈にまみれているのでリチウム電池に関する研究とだけ。ただ、こうした研究結果が人類の発展と繁栄に貢献したという事実が、改めて関知することが、感慨深い喜びとなって胸のなかにあふれてくる。日本人でよかったとおもう。日本人はすごいとおもう。日本国ばんざい。誇りを失うなかれ日本人。大和魂を忘れるなかれ。世界でもっとも優れた民族であることを忘れるなかれ。そういった思いで振り返ると、最近の科学分野や研究開発の現場でささやかれていた今後についての憂慮につながる。これは民主党が政権をとった2009年ごろからか、もう少し前ぐらいからの流れでもあって、この時期の奇妙なシンクロはまさにわが国が底を打った地響きの期間だったようにも感じる。この一連の流れを断ち切ったのは昨年の本庶佑氏だ。この受賞が大きい。会見の場で語ったのは今の日本の現状と未来の日本への言及だった。これから日本が目指すべき姿勢、志すべき態度を強調した。受賞の副産物である賞金は後進へ託すとしたところも何か意味めいていた。IPS細胞の山中教授から本庶氏、そして、今年の吉野氏と関西勢の躍進が目立つのも象徴的な気がする。それは何かというと、ものづくり、ということで、以前、アメリカ的とイタリア的について触れたが、勝手なカテゴライズに集約すると、たとえば、2005年ごろのITブームに沸いた原点がシリコンバレーにあるとする。いわずとしれたものづくりのメッカだ。これが日本に入ってきて盛んに繰り広げられたのは開発のお勉強ではなく、投資のお勉強だった。投機といいかえたほうがいいかもしれない。これを東京型とする。東大阪の中小企業の底力が注目を集め出したのもこのころからのことで、こちらは大阪型とする。あれから月日は流れた。日本という国は天然資源が少ない。豊富にあるとすればそれは人的資源だった。2005年ごろからの小泉政権の剛腕で大衆に見せつけられたのは東京型スタイルばかりで、大阪型は見る影もなかった。その挙句が失われた20年の終結ではなく、さらなる苦境のはじまりだった。使い捨ての人財。帰属意識の薄まった社会。外国から資源を輸入し、加工して、世界に売る。この構図には人材が不可欠であったにもかかわらず、あまたの経営者は道を誤った。何がいいたいかというと、目指すべきは大阪型にあるということだ。何も投資をおろそかにしろということではない。どちらを選択するにせよ、楽な方向に可能性は少ないということについて学ぶべきだ。また、楽な方向に快楽も少ないと併せて知るべきだろう。2005年ごろからの投機ブームは人生はひたすらイージーだと世の中を勘違いさせた。名古屋のビルの屋上からカネをばらまいた男性などもいた。秒速で1億という本も売れた。うちの本棚にもそういった本が大量にあるが。ま、それはおいといて。東京型と大阪型。毎年、ノーベル賞の季節になると、騒ぎ立てるあの国の姿勢は無論、東京型だ。東京型を模倣するからできあがるのも東京型でノーベル賞が取れない。最高に幸せなことはやはり矢沢永吉だとおもう。最高に幸せなひとではない。最高に幸せなことだ。ものづくりと価値が一致するとき。映画「みんなの家」にこんなセリフが出てくる。アーティストは右から左へモノを流せばただの商売人だし、モノが売れなければ、ただの変人だ。吉野氏が科学に興味を持った原点は子供のころに読んだ「ろうそくの科学」という本だった。会見でいっていたのは、おおまかに記すと、ノーベル賞への布石は子供のころからはじまるというものだ。かなり端折っている。でも、そんなもんだ。いくつになっても子供のころの夢は変わらない。カネはあくまでオマケ、という考え方が浸透すれば、悲しみは消える。人生の憂いも消える。楽しみと喜びだけが増える。たぶん。
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10月9日 朝

ひじょうに大型で強烈なスーパー台風がこの週末に関東地方を直撃するという。昨年の台風21号を経験したものにいわせると万全を期すことはもちろん、もっと精神面でプラスマイナス理論を貫くしかない。このプラスマイナス理論というのは柳沢きみお氏の持論で人生苦もありゃ楽あるさ、だけでなく、その事象自体に意味を見いだそうとするものだ。たとえば、一般的にほとんどが忌み嫌う老化にしても、これがあるからこそ今をかんじることができるのであり、成長を知ることもある。財布を落としたおかげで、新たな財布を買う楽しみが芽生えるし、終わった恋は新たな出会いをかんじさせるものだ。そう、唐突だが、結婚できない男シーズン2がはじまった。題して、まだ、結婚できない男。第一話を観た感想は、すばらしい、のひとことに尽きた。なにより、演技力が図抜けている。これは男優陣しかり、女優陣しかりであり、前回作品よりもマッシュアップしている。マッシュアップってなんだろう。前回のヒロイン、早坂先生は大金持ちと結婚していた。桑野はあいかわらずおなじマンションに暮らし、おなじ美学によって生活を楽しんでいる。ただ、以前よりさらにデジタル化しているという点で世相を映し出している。なにを隠そう、隠すこともないが、我が家のインテリアは基本的にこの結婚できない男に憧れて設定された。ダルトンのスパイスラックを買い購めたのもこの頃で、スタイリッシュな空間をひたすらに構築し、日々、清掃に明け暮れるという毎日に充実感を味わっている。桑野信介の魅力を端的にあげつらうと、それは柳沢きみお氏にも通ずる道となる。すなわち、これが、これこそが男という生き物だということだ。結句、結婚しようが、何年経とうが、男はスタイルにこだわる。いや、もっとわかりやすくえいば、スタイルを作り上げることに喜びをおぼえる。女にはこれがない。スタイルが壊れるとき、それは男が崩壊するときでもある。火曜日が楽しみになった。水曜の朝が楽しみになった。すべて、結婚できない男のおかげだ。いまおもえば、さりげなく寅さんを挿入したのも演出だったのだろう。当時は純粋に下町の映像を楽しみ、ストーリーにはまっていたのでわからなかった。あのころの子役もいまはオトナだ。桑野も老けた。だが、草笛さんは変わらずキレイだ。スーパー台風のなか、ただひとり、部屋の真ん中で大音響のマーラーを楽しむ桑野の姿が目に浮かぶ。プラスマイナス理論だ。台風のおかげで部屋にこもれる。クラシックの名盤を探しておこうか。
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10月8日 午後

福岡の宗像で心温まるニュースがあった。この世知辛い世のなか、新聞を見開けば、やれ、虐待、いじめ、淫行の文字ばかりが躍る。あいもかわらず、眉をひそめ、くちびるを歪め、やるせない思いで記事をめくる。だが、悲しくて泣くことはない。怒りから泣くこともない。ただ、むかっ腹が立つだけだ。泣くのはいつも救出劇とか人情劇で、今回の心温まるニュースもそう。こういうのに弱い。簡単に経緯を説明すると、女児7歳が釣り場から転落し、海に投げ出された。それに気づいた近くにいた女子中学生三名が救出に向かう。三人はバレーボール部の先輩後輩で先輩14歳、後輩13歳ふたりという構成。まず、先輩Aが後輩Bに近くにあったペットボトルの中身を捨て、持ってくるよう指示。後輩Cには管制塔に通報を要請。戻ってきたBのペットボトルを受け取ると、先輩Aは自ら靴と靴下を脱ぎ、三メートル下の海に飛び込む。持っていたカラのペットボトルを女児に渡し、大丈夫だからと慰めつつ、女児を傍らに抱きかかえたまま、陸地に上がることのできる階段を目指し、約50メートルを泳いで移動。その間、陸では後輩たちが声を上げ、先輩Aを応援。階段では先輩Aが足をけがしないよう靴を手渡す。もちろん女児も無傷で無事、救出終了とあいなった。なんというチームプレイか。部活動を通じた連携もあったのだろう。信頼関係も若くしてすでに構築していたのだろう。そして、正義感にあるふれる行動力は家庭の育みもあったはずだ。先輩Aのお父さんは釣り船の船長さんで、常日頃から「海でおぼれているひとがいたら、まず浮くものを持たせろ」と教えられていた。無論、この三名には地元消防署から感謝状が贈られたという。それにしても、先輩Aの図抜けた判断力と行動力にはドタマが下がる。後輩ふたりは「人が海に落ちて焦ったけど、先輩Aが冷静だったので私たちも動くことができた」と語った。先輩Aの名前は海の琴と書いて、みことさんというらしい。海の世界も変わる。女性船長が席捲する日も近い。
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