8月20日 午前中

ひどい土砂降りだったが、甲子園の試合は行われるのだろうか。予定では9時から履正社vs明石という必見の好カードなのだけど。9時までにはわかるだろう。本日、20日。いつのまにか盆休みが終わっていた。昨日はカフェイン、オルニチン、システイン、タウリンを普段の倍量のみ、さらに夕食に無理やり卵かけごはんを食べた。食べたというか押しこんだ。一口、くちにいれるたび、う、となったが、それでもなんとかかっこみ、しばらく横になった。これでだめなら次はユンケルしかない。もう気力で歯を食いしばったというほかない。茶碗一杯のごはんに苦戦したのはいつ以来だろう。とりあえず食べておかないと空腹時間が20時間を超えてしまう。アホである。こんなシチュエーションで歯を食いしばるバカがどこにいるのか。意外と身近にいた。とりあえず復活したので今日も呑もう。末は世の敵、ひとの敵、くちびる歪め、ブコウスキー。さて、8月20日といえば、636年のヤルムークの戦いにおいて、アラブ軍が東ヨーロッパを破った日である。違うな。こんなことをいいたかったわけではない。頭が微妙にずれている。だいたい、いつもずれているのだけど、今日はズレ方が激しいというか、朝の雨に打たれて、先ほど浴びた熱いシャワーの湯気がまだ身体から立ち上っているような、それでいて、こんがりと焼いたホットトーストでもかじりながら生ビールを全身に流しこみたい気分だ。それはいい。そんなことはいい。本日、8月20日は阪神大震災の避難所196か所の運営を打ち切り、震災から216日目ですべての避難所を廃止した日なんだよ。そう、すべてのつらい現実にも終止符が打たれる。京アニの献花台が25日を以て設置終了となる。一か月が過ぎたことを節目にするという。世界中から届けられた京アニへの想い――アニメのパワーは改めてすさまじいと感じた。どうかこの世界から悲劇がなくなりますように。せめて少なくなりますように。ちょっとでもなくなりますように。不断の努力が実を結ぶ。そう信じて日々、善行を重ねるわけ。

8月19日 午後

履正社が準決勝進出を決めた。ぜがひでも履正社vs星稜の決勝が観たい。観たい。観たい。観たい。
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8月18日 午前中

長かった9連休も今日で終わり。いっぱい遊びましたか。たくさん笑いましたか。たっぷり呑みましたか。どさっといただきましたか。めいっぱい泳ぎましたか。数えきれないほどときめきましたか。がっぽり儲けましたか。パンパンに詰め込みましたか。惜しむことなくつぎこみましたか。ありあまるほどはしゃぎましたか。思い出をつくりましたか。夏がいってしまいそうになると、自由を求めるたびに出たくなる。新たなる自由。ほんとうはどこにもないのかもしれない自由。でも、どこかにあるのかもしれない自由。自由を求めた旅の果てにみつけた本当の自由。自由をみつけた気がしたとき、片隅にはいつも映画があった。なかでもアメリカンニューシネマは多くのことを教えてくれた。明日に向かって撃て。おれたちに明日はない。スケアクロウ。真夜中のカーボーイ。ワイルドエンジェル。スティング。特に一本だけ挙げろといわれれば昔から答えは決まっている。洗練された答えだ。「イージーライダー」これしかない。破滅的なラストシーンに突き進む自由の旅。theバンドのweightの響きに乗せてキャプテンアメリカはどこまでもいく。ハーレーだってどこまでも続く。風に吹かれ、雨に打たれ、たまには銃に斃れても。ワイアット&ビリー。そして、ハンセンよ永遠に。ピーターフォンダがなくなった。LAの自宅で、肺がんによる呼吸不全だったそうだ。79歳だった。イージーライダーはベトナム戦争を時代背景に1969年に公開された。カウンターカルチャーという言葉が独り歩きする以前の本来の輝きを放っていた時代の象徴だった。今じゃだれもかれもがカウンターカルチャー。猫も杓子もアーティスト。サブカルチャーが大手を振って闊歩する時代。そんな時代とは隔世の感のある、はるか昔の正真正銘の冒険。それが、イージーライダーだった。カネがない?いいじゃん、バイクに乗ってれば。家がない?バイクあるんだろ?腹減った?バイクがあるじゃん。とりあえず走ろうよ。ピーターフォンダ家は父ヘンリーフォンダを筆頭に俳優一家として知られる。最後に家族のコメントを「私たちは愛すべき、優雅な男性の喪失を嘆くとともに、彼の不屈の精神と愛に満ちた人生を祝福してあげてほしいと願っています。ピーターをたたえ、どうか自由という名のグラスで乾杯をしてください」自由という名のグラスか。何個、割ったことか。地震で。自由に乾杯しよう。不滅の、そして不朽の映画「イージーライダー」よ。キャプテンアメリカよ。永遠に。その名とともに自由を永遠に。
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8月17日 午前中

ひさびさに旅をした。といっても日帰りのごくごく近隣へのおでかけに過ぎなかったのだけど、それでもどこか胸の高まりをおぼえたというか、非日常の違う世界を垣間見た気がする。夜はいつものとおりに過ごし、朝もいつもどおりに終わった。午前中の日課である筋トレのあとはいつもの土曜日がはじまるのだろう。「土曜の夜と日曜の朝」はいわずとしれたシリトーの代表作であるが、ブコウスキーを夏とすれば、シリトーは秋を感じさせる作家だ。時はすでに残暑と化し、出先でたまたま買ったスイカは夏のなごりの醍醐味で、蝉しぐれも勢いをなくした。今朝は今朝で夢のなか、過去をさまよった。残暑とはそういう季節だ。シリトーの「長距離走者の孤独」のような反骨と無頼のはざまで、旅を続ける理由はそれが人生だからというしかない。旅の途中でだれかと出会い、旅の途中でなにかを失う。得たものと捨てたもの。拾ったものと消えたもの。いつしか人生がふかんでいく。深みのさなか、夢をみる。そう、いつかみたあの夢のつづき。あの続きを見るには。夢の続きはもう日常生活の内側にはないことを悟った。だけど、非日常であろうと、どれだけ現実逃避しようと、それが日常の延長線なんだよといわれればそれまでのことで、どこで暮らしても、たとえば遠く異国の空の下で息をしても、吐息は自分の目の前に流れるだけで、けっして異国をさまようわけではない。シリトーの小説はコックニー訛りで構成されている。これを日本語に変換すると、訳者はため息をつく。そのため息もシリトーの現実のまえを漂うわけもなく、ただ自分と読者の葛藤につながる一本の白い糸でしかない。ある訳者は、おれ、を、おら、と訳す。東北弁にちかいのか。コックニーをひとことでいうと、パンクだが、そういえば、夢のなかでアナーキーインザユーケーを弾いていた。楽器はベースだ。それをトゥーフィンガーで弾いていた。シドよりはグレンなわけで、そうこうするうち土曜の朝がはじまった。やがて土曜の夜がはじまる。そして日曜の朝へと。
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8月16日 朝

五山の送り火。台風も去って、夏休みも去り行くそんな気配のなか、ああ、今年もこの日がきたかと感慨深く思いだす。それは70数年前のある日の朝だった。爆音で目覚めたぼくは開け放たれた窓から差しこむ陽射しをかんじていた。日差しは街を焼き尽くし、世界を丸焦げにしていた。だれもいない世界の中心でぼくは呆然と立ち尽くし、やがて一歩ふみだすと、そこはまさに世界の終わりだった。雲は黒く、空は暗く、空気は灰色だった。川の流れが潰えてしまっていることに気づいたぼくは喉の渇きをいやそうと冷蔵庫を探したのだけれど、そのころ冷蔵庫はまだなくて、仕方なく隣の家の蛇口をひねったのだった。出てきた水はいわゆる水ではなくて、真っ赤な鮮血で、からからだった喉はその血で潤い、身体の半分ぐらいが満たされていくのがわかった。焼けた地面をこれでもかと踏みしめる。身体が沈んでいく。なんとか身を起こす。身体が沈んでいく。いずれ夜がくる。日が陰る。早く行かなければ。ひっしにもがき、身体を起こす。ぼくは足がないことに気づいた。よくみると、足のないひとばかりだった。ふいにうたをうたいたくなったぼくは詩をみつけた。靴がないことを嘆いていた。足をなくしたあのひとをみるまでは。上を向いて歩こうのメロディに乗せてうたった。♪くつがないこと、なあげいていた、足をなっくしたあのひとみるまでは。少し気分がよくなった。足も戻っていた。ふたたび歩き出すと、戦火は止んでいて、どうして戦火とわかったかというとそんな気がしたからだった。機関銃を持った若い兵士に「どうして機関銃を持っているの?」と訊ねると、若い兵士は「そんな気がしたからだ」と応えた。ぼくは心の動きを見透かされたような気恥しい思いから、その若い兵士をフルボッコにした。若くみえたのは見た目だけだった。本当の兵士はひどく年老いていたのだった。ぼくが空手を習っていたこともあったのだろう、兵士はぼくの前に頽れた。またひとつ壁を乗り越えたのだ。せっかく乗り越えた壁も太陽のまぶしさにあっては無力で、どうして兵士を暴力によって屈服させなければならなかったのかと自問すると、カミュはいった。いや、ぼくがいったのだとおもう。太陽がまぶしかったからだった。でも、本当はぼくがまぶしかったのだけど。目覚めると、ぼくは二日酔いだった。喉が渇いていた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、サーモスのタンブラーにひたひたに注いだそれを一息に飲み干したのだった。今日は五山の送り火だ。
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8月15日 午前中

台風が迫ってる。だが、準備はおっけーだ。対策は済んだ。ベランダも片付けたし、玄関前もそうじした。あとは行動次第。そう、この行動というやつが最大の難関というか、最強の支障というか、無敵の関門というか、要は意思なわけで、ものごとの振る舞いの基準は堅固な岩に根差すこともあれば、泥沼にぬかるんでいる場合もある、とグレートギャツビーの語り部もいっているように自分がどのようにふるまうか。これが肝要。不透明な事案、不可解な襲来に対する心構えのようなものがいつの日も自分の身を安寧の位置へと導く。これは古今東西、往古来今の定めのようなもので、抗うことのできない必須のスキルといえる。つまり、台風から身を守るすべ、イコール台風に逆らわないこと。このことをひしと胸に抱きしめ、船を見に行ったり、田畑へでかけたり、屋根にのぼったりしない。不要不急の外出を控え、サーフィンも釣りもしない。イエス、アイドゥ。わかっている。わかっているのだけど、夏休みの貴重な一ページを無駄に過ごしたくないというのも本音のところで、できれば出かけたい。近場のスーパー銭湯でいいの。もしくは近隣のショッピングモールでもいいの。でかけたい。されど、昨年の台風21号を体験したものにとって、車移動の危険性は十二分に認識しており、まさか、飛ばされるわけもあるまいとする過信はいかようにも持ち合わせていないのも事実で、どちらかというと飛ばされる可能性の高さを身近では吹聴している。今一度、行動基準を見直して、安易な妥協には決して屈しないことをこちらも、もう一度、見つめなおし、今日の計画に活かそうとおもいつつ、本題に移るが、前提部分で文字数が結構いってしまったので、結論からいうと、コリアンが嫌いだ。コリアンの考え方も理解できない。おなじ人類とはおもえない。そして、こういった日本人はニューメディアのよりいっそうの発達によって今後も増え続けていくだろう。メディア媒にかぎらず、価値観の偏移はいたるところで見受けられるが、いわゆるマスメディアと呼ばれる大手媒体に絞ってみれば、これを如実に顕すロートルメディアの最たるものはNHKだ。たとえば、先日のNHKニュースから。盆休みに海外にでかける日本人へのインタビューだった。対象は女性3人組。「どこへ出かけるんですか?」「プサンです」「目的は?」「おいしいものをいっぱい食べたい」嫌悪しかなかった。あいかわらずだと思った。これをおそらく平和外交と位置付け、押しのけるNHKの無頓着さ。反コリ日本人の増加に比例してN国支持者も膨れ上がるだろう。大切なのは行動だ。台風に対してだけではない。
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8月14日 午前中

今日はジムで汗を流しながら更新。がんばるぞ
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8月13日 午前中

ラグビー日本代表がパシフィックネーションズカップで全勝優勝を決めた。これによって世界ランキングも過去最高順位同等9位となった。ワールドカップ初戦を戦うアイルランド代表監督が日本vs米国戦のすぐあとにインタビューに答えていた。「4年前はたしかに運もあった。だが、今回はちがう」というような見解を述べられていたのだけど、そのとおりだとおもった。今の日本代表にジャイアントキリングの勝ち名乗りは似合わない。勝って当然とまではいわないが、当然のように負けるチームではない。ワールドカップはすぐそこだ。続いて、履正社が津田学園に勝って、三回戦進出を決めた。盆休みに入り、甲子園はなおも活況、いや、ひときわ盛会裡といったころか。生ビールをカバのように爆飲しよう。熱中症に気をつけよう。
posted by せつな at 10:20Comment(0)日記

8月11日 午前中

山の日である。なんのこっちゃ。宮古島の地価が上がっていて、家賃が東京並みに高騰しているらしい。地方に目を向ければ、悲惨な現状ばかりな昨今、東京が一極集中しているように沖縄も観光都市一極化というところか。さて、今朝の鬼太郎がよかった。盆にふさわしい内容だった。おもわず朝ごはんをいただきながら涙してしまった。きょうもがんばろうとおもった。
posted by せつな at 09:52Comment(0)日記