8月3日 朝

昨日は土用の二の丑ということで冷凍しているうなぎをいただこうかなとおもったのだけれど、めんどうでやめた。カツオを食べた。今年は二の丑が三日で、調べてみると、立秋は7日だった。もうすっかり秋ですね、となるはずもなく、立秋と立春だけは季節の変わり目と呼ぶには実感がわかない。本日、8月3日ははちみつの日。最近のマイブームにはちみつレモンがあって、これはレモン果汁にはちみつを入れて水で割って飲むというものだけれど、なかなかいい。早くやっておけばよかった、とおもうほどシンプルでおいしい。大ヒット商品「はちみつレモン」は本当にはちみつとレモンだけで成り立っているのだなということがわかる。以前の朝はアセロラドリンクを愛用していた。ヨーグルトをいれてシャカシャカしたり、ココアパウダーをいれたり、きなこをいれたり、オリゴ糖をいれたりしてサプリを流しこんでいた。いまはもうはちみつレモン一本。これを朝一で飲み、ワークアウトのあとにももう一杯飲む。業務スーパーで一リットルのレモンを何本か買い置きしていて、はちみつも何本か買い置きしていて、カラーバス効果なのか、買い出しに訪れる都度、棚をチェックする癖がついて気づいたことがある。やたらはちみつが売り切れている。やたらレモンがない。以前は納豆もそうだった。午前中に山ほどあった納豆が午後にはなくなっていたり、どう思い返してもおかしい。数時間で100個か200個ぐらいはあった棚に納豆がない。補充もない。これは39円の「たれとっちゃいました」という商品でスーパーラムーのものだけれど、これを買い逃すと、次は48円のディープライスのものから減っていき、これがなくなるとおかめ納豆あたりが消費にまわるという現象を過去、何度も目撃してきた。とどのつまり、この現象はコロナによるものなのだろう。世間のキーワードは免疫力。ビタミンCにナットウキナーゼ。考えることは皆、一緒。困るのが普段からのヘヴィユーザーというわけで、一時期、このしわ寄せにキレそうになった。トイレットペーパー事件も記憶に新しいが、もしかするとマイブームというのも誰かの掌の上で踊らされているだけかもしれない。そう考えると、やはりぼくも人の子。世間一般の歯車に過ぎないのだなあとしみじみ蝉の声に耳を傾けるのであった。

8月2日 朝

PLの花火も淀川の花火もないまま1日が終わった。今日は地元の夏祭りも中止。楽しみはもう個人のイベントに賭けるしかない。大相撲。今日の見所としては遠藤が勝ち越すか。1勝5敗のときはさすがに終わったとおもった。よく5分の星まで巻き返したものだと感心するいっぽう、あいかわらず負けたらすぐ休場するモンゴル勢にはうんざり。日本人の精神論を揶揄する風潮もあるが、もし世界に完璧な魂があるとするならば、それは大和魂をおいてほかにない。サッカーに目を向けてみれば、ガンバが川崎に競り負けた。川崎はこれで無敗の7連勝。すばらしいのは一敗のセレッソが二位で二敗のガンバが三位という好位置にいること。今年は期待できる。気になったのはパナスタの入りが4925人という数字で、5000人ルールで当たり前なのだけれど、すごく不思議な気がした。しかし、もしかすると、これぐらいが本来は適正人数なのかもしれない。続いて高校野球。4日に履正社。5日に桐蔭がいよいよ登場する。コロナ禍のいま、仕上がりはどうだろう。何点差でコールドを決めるか。こちらも楽しみだ。昨日、八軒家浜にアヒルちゃんがやってきた。世界を駆け巡るラバーダック。前回、写真を撮ったのは何年前だろう。日曜日だし、ひさしぶりにエンジョイエコカードでも使って逢いにいこうか迷い中。アヒルちゃんかわいいぞ。展示は8月末まで。今朝は新聞の社会面の片隅がおもしろかった。いきものがかり吉岡さん結婚のよこで、杏さん東出さん離婚。悪意ある並べ方にみえてしょうがない。だが、この相対は人生を物語っている。出会いがあれば、別れがあり、別れがあれば、出会いがある。ドルチェ&ガッバーナのあの歌詞のようになんだかんだで生きていくのだ。8月2日。ということはもうすぐ6日。つい最近、沖縄慰霊祭をテレビでみた気がするのだけれど、まことに光陰矢の如しでございます。そんなこんなで今日は日曜日。遊びにいくには絶好の日和だ。朝まで遊ぼう。時間はない。駆け抜けよう。
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8月1日 朝

たばこがまた値上げする。日本たばこ産業が昨日、財務省に値上げを申請したのは一箱10円から100円の値上げ幅。最多は50円となる。メビウスが現在の490円から540円。セブンスターが510円から560円。なので、とうとうワンコインの時代がおわる。1000円で二箱買えない時代へと突入することになる。消費税導入で缶ジュースが100円で買えなくなったときを思いだすひとも多いのではないだろうか。認可されれば10月1日からのたばこ増税に合わせて値上げとなり、これを機に禁煙をはじめるひとが増えると、また健康寿命とやらは伸びるのだろうか、とも考えたりしてしまうのは、コロナ禍もなんのその日本人の平均寿命がまた記録を更新したからだ。女性が87、45歳で7年連続更新。男性が81、41歳でこちらは8年連続更新。厚労省の担当者によると、医療技術の発達により今後も緩やかに更新を続けるという。人生100年時代がまさにすぐそこまで迫ってきたといったかんじか。どうなる日本。どうなる年金。こうご期待。7月最後の日に近畿地方もついに梅雨明けした。過去3番目に遅かったらしいが、明けたとたん、真夏日がはじまり、本日からは猛暑日も加わる。8月1日。ということは本日は八朔で、おそらく今年はげいこさんたちの挨拶回りも封印されるだろうが、とにかく晴れてよかった。朝からせみも爆音だ。とんぼも飛んでる。冷房も全開。ビールも進む。すいかもおいしい。一歩、外に出るとタンクトップもびしょぬれ。ひたいから汗が流れ落ちる。背中の毛穴から汗が噴き出す。喉がかわいた。あ、販売機発見。ここをじっとがまん。コンビニもスルー。スーパーへたどりついた。ひと缶60円のウーロン茶を買うとおもったらそうはいかのきんたまたこがひっぱる。おもむろに2リットル69円のミネラルウォーターに手を伸ばすとおもったらそうはいかのきんたまたこがひっぱる。50パック138円のウーロン茶を水出しして冷蔵庫で冷やすのでした。残念でした。ウーロン茶が冷えたころにはもうすっかり喉がからからなので、缶ビールをぷしゅっと。ごくごくごく。ぷはー。夏だなあ。
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7月31日 朝

7月中の梅雨明けはなかったということか、今日、発表されるのか。コロナ禍も明ける見込みもなく、身近なところにも感染が広がってきた。いつになることやら。新聞を読んでも暗い気分にしかならない。ならば、と番組欄を隅から隅まで眺めてみると、昔の年末年始とか4月、10月の改編時とかの装いだ。時間も中途半端でよくわからない。そんななかにあって、昔ながらを貫く局がふたつある。サンテレビと京都テレビだ。きっちり1時間、30分、45分等の刻みかたでテレビ欄が成り立っている。民放で必ず観る番組といえば、アタック25しかないが、これもちょっと独特で25分にはじまるのだけれど、ぴったり25分にははじまらない。だいたい25分30秒ぐらいの感覚ではじまる。これは俗にいう遅発早着的発想にちがいない。25分台にはまるまる1分の猶予があり、テレビ欄は別にうそをいっているわけではないのだ。しかし、このせこせこ感がいやしいというか、せせこましいというか、25分ジャストにはじまると思ってテレビをつけたら30秒間コマーシャルを見せつけられる。この手法はほかにもあって、番組がはじまったとおもったのもつかのま、1、2分でコマーシャルに切り替わり、延々と3分か4分にわたってそれが続く。土曜日のウェイクアップなどが顕著な例だ。洗脳的やりかたもよくある。映画などがそうで、最初はまったくCMが入らないのに最後のほうになってやたらめったらいれてくるパターン。悪くいえば覚醒剤的手法といっていい。すっかりはまったころに手中におさめるというあしき方法。なんだかんだテレビを観ているのだなあとおもった。テレビ欄を見ていると、ほかにもその時代、時勢のトレンドが読み取れる。別段、番組を視聴しなくともテレビ欄の見出しと、なんとなくネットの情報と照らしわせることで、匂いとか空気感が伝わってくる。いまはこれなんだ。いまはこのひとなんだ。そんな感じ。ビートたけし氏は自分でテレビ欄を作成していたが、やっぱりテレビ屋だなあと感心した。昔の新聞を図書館等で閲覧して、テレビ欄を見るのもおもしろい。出演者のほとんどがもういなかったり、寂しいこともあるけど。
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7月30日 午前中

起きたら9時を回っていた。急いで朝食の準備を整えた。うなぎも食べた。最近、あまり食欲がなくて、なんだったらおいしくいただけるだろうと考慮したすえ、うなぎを購入したのだけれど、おいしいと感じるのは味噌汁だけ。たぶん、毎晩、呑みすぎているせいだからだとはおもうが、ミルクシスルのおかげか、体調は悪くない。これで毎日エブリデイジム通いを続けているので痩せていくばかりなのだけれど、酒を呑むと中性脂肪に変わる。ワイン、ビール、焼酎、ウイスキーの区別なく、酒はすべて中性脂肪に変わる。エンプティ―カロリー?関係ない。プリン体ゼロも中性脂肪に変わる。一日、焼酎を一本ぐらい呑んでいるのでその中性脂肪が半端なく、いつのまにか皮下脂肪に蓄えられて、おなか周りがさすがにまずいことになってきた。アブドミナルクランチとロータリートルソーだけでは保てない。アブローラーをふたたび習慣化するときがきたのかもしれない。もうきっと、認めたくはないが、やっぱり、というか、中年なのだろう。かといって少年に戻りたいかというとそうでもなく、あの息苦しい季節の青春の涙はもういらない。それで、ライフワークでもある作詞についてなのだけれど、昔の作品を改めて読み返すと、そこにあるのは主張ばかりで、小説にたとえるとこれは私小説に当たる。もちろん自らの主張がなくなるわけでもなく、生きているかぎり何かしらのアウトプットは続くのだが、これでは詩の世界が広がっていかないというのも長ずるにつれて痛感している。そもそも昔のような主義主張もない。人生あるがままなり、だ。打開策として、シーンのトップをひた走るようなアーティストの詩を研究してみたり、竹原ピストル氏のあの独特の逆説的詩の世界をのぞいてみたりすると、ひとつの法則がみえてきた。小説にたとえると、これはエンタメ小説だ。一見、私小説にみえるスタイルでもほとんどはエンタメであり、ミステリー、ジュブナイル、クライム、ロマンノワール、ピカレスク、コメディー、アクション、ロマンス等の独自世界を創造構築することで成り立っていることがわかる。小説、論文、ブログはパソコン。作詞はシャーペンでノートに書くスタイルが変わることはないだろうけれど、というか、変われないのだけれど、一回、作詞をパソコンで入力してみたらどうだろうか、ひとつのストーリーとして、などと可能性を模索してみよう。
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7月29日 朝

肉の日だ。年に12回ある肉の日のなかでも7月と8月は特別感がある。なぜなら、暑くて夏バテするからだ。なんというわかりやすさだろう。夏バテには肉。なかでも焼肉。じゃあ、今日は焼肉に行くかというと、たぶん昼はそうめんだとおもう。肉はパワーを享受すると同時にパワーを消耗するのだ。肉といえば、庶民の、肉、の代表格吉野家がコロナ禍に苦しんでいる。かつては狂牛病で苦しみ、消費増税で苦しみ、人件費増と材料費増で苦しみ、今回は最大150店舗の閉鎖もありうるという。庶民の味方、吉野家の牛丼を最後にいただいたのはおそらく去年の今頃だったような気がする。タンクトップで牛丼並をかっこんだ記憶がある。紅ショウガをこれでもかと載せ、身体のために一応サラダと味噌汁もつけて、いただきまーすとわしわしと食べ進んでいくしあわせは牛丼ならではもので、焼肉やステーキにこうした喜びはない。ひとによっては同じ喜びを見出し、ごはんを頼むかもしれないが、相当の酒飲みは焼肉にビール、ステーキにワインが通常で、そのまま呑み進め、ごはんにたどり着くまえに三件目で潰れてしまう。吉野屋で潰れることはない。吉野屋が潰れることもない。なんとか踏みとどまってⅤ字回復をとげてほしいものだ。jcomの「高校球児 がんばって」の口調で吉野家さんがんばってと皆で叫ぼう。肉料理といえば、ほかに思いつくのはしゃぶしゃぶとかローストビーフ。レアなところではシュラスコとか、国によってはメジャーかもしれないが、日本ではほかにケバブなんかもイベント以外ではなかなかいただく機会がない。書いていて気づいたのだけれど、肉の日の、肉、というと、なぜ、牛肉ばかりが思い浮かんでしまうのだろう。肉、なのになぜか、鳥や豚や羊の発想がない。ケバブもドネルケバブを思い浮かべていた。以前ももしかすると当ブログで取り上げたかもしれないが、外国人が日本にきてとまどうのはそのあいまいさにある。日本人であれば、なんとなく小さいころからのイメージで想像できるのだけれど、この想像も日本人同士のなかでたまに食い違うほど難しい。焼肉といえば、牛肉をメインに考えてしまうし、焼き鳥のメニューにガツがあればそれは焼きとんで、焼き豚といえば、チャーシューで、ああ、ややこしくなってきた。肉のよさはその単純さにある。たまの京料理もいいが、今日は肉の日。単純にいこう。
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7月28日 朝

政府が布マスクの配布を8000万枚追加するという。すばらしい。たぶん。すばらしいのだけれど、どうせなら冷感ウレタンマスクにしてもらえないだろうか。こういったことを助言する人物が周りにいないのだろうか。血税が湯水のように使われ、マスク配布にしても中抜き目的ではないのかと勘ぐりたくなってしまう。実際にそうなのかもしれないし、まあ、あきれて世界を見つめ直すのはいまにはじまったことじゃない。最近、きのう何食べた?を読んでいて、知らない言葉にふたつ出会った。ひとつはMPで、もうひとつは、ケの日。早速、調べてみると、MPはマジックポイントの略で、ゲーム用語から来ているらしい。HPがヒットポイントで体力を意味し、マジックポイントは精神力。ケンジは精神力が下がっていたのだ。続いてケの日。これの反対語がハレの日。というわけで、ケの日はハレの日の逆で、つまりは日常を指し示す言葉。勉強になった。16巻まで読み終えてしまったので、次は8月20日に発売予定の17巻を楽しみに待とう。16巻で参考になったのは小日向さんのつくるアボカドとカニのサラダで、たまねぎに塩をして絞ったあと、その塩分が味付けの一部となるというのが気に入った。今度やってみよう。カニは入らないけど。そういえば、南コリアがアホみたいな銅像を作ったとかで、ほんまかなと思ったらほんまだった。もうあの国とは国交断絶しかありえない。最近、すっかり気迫をなくした気のする安倍首相はそろそろ決断すべきだろう。あの国との国交は百害あって一利なし。今回のアホみたいな銅像に関してはこれは保守派とか思想うんぬんではなく、日本人ならば当然、怒りを以て声を上げるべき案件であり、あまりのあほくささに呆れてものもいえないようでは幼稚でバカでまぬけでカスで未熟な連中にはこちらの嫌悪感が伝わらない。別に伝える必要もなく、即刻、断絶すればそれでよいが、その後はとりあえず弾道ミサイルを1000億発ぐらい見舞ってやって未来永劫、関係を絶つことにしよう。お互いのために。
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7月27日 午前中

ドラマ半沢直樹を観た。経済もののストーリーとしてはベタなのだけれど、出演者の演技力もあり、おもしろかった。15年前。ライブドアショックの序章。日本放送株の買収を多くのひとは思い描いたことだろう。もちろん内情は知らないが、あのときもいろんな思惑が複雑に絡み合っていたかとおもうと、改めて振り返りたくなった。時系列を追うと、事の発端は2005年2月8日の午前8時。わずか30分の時間外取引に遡る。ここから2か月間におよぶ混乱が続き、北尾氏率いるSBIグループがホワイトナイトとして登場したこともあり、結句、フジテレビがライブドアに出資することを条件に和解が成立する。その後の流れは皆の知るところであり、翌年、年明け早々のライブドアショックでITバブルは終焉する。買収の攻防を世間に広く知らしめた事件として後世に語り継がれる日本放送株取得事件なのだけれど、あれから15年経ったいま、感じる思いがひとつある。それは今現在、半沢を観る人、ロスジェネ以外の視聴者、若年層にとって、もしかすると、新鮮に映ったのではないか。昨夜、観た限りではかなり単純な話で、もっというと、ひたすら退屈な展開で、さらにいうと使い古された手法がそこらじゅうに鏤められており、水戸黄門とか暴れん坊将軍とか遠山の金さんとかの時代劇を彷彿とさせる思いで最後のほうはテレビ画面を眺めていた。それでもおもしろかった。なぜかというと、水戸黄門も暴れん坊将軍も遠山の金さんもおもしろいからだ。そして、冒頭にも申し上げたように役者の力量がドラマの根底を支えている。視聴者はどんな思いで観ていたのだろうか。新鮮で革新的なドラマか、はたまた時代劇か。かのマイケルサンデル教授が東大かどっかにきたとき、ハーバードとおなじような授業が展開された。20歳そこそこの大学生が2004年のサッカーアジアカップの説明をしたとき、こんな言い回しをした。「実は、あのとき、大ブーイングが起きたんですよ」え、あのブーイングを知らない日本人なんているの?そうか、時代だな。遠い目をしたのでした。
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7月26日 朝

飽和状態のライザップが次に目をつけたのがシニア世代。題してライザップシニアプログラム。なにをするかというと、1筋力の強化を目的としたトレーニング2筋肉をつけることを意識した食事指導3あなた専属のプロトレーナーと一見、若者向けのパーソナルトレーニングと変わりがない。なにが違うかというと、受講生がちがう。金を持った老境のジジイとババア。まだ、長生きするの。健康寿命を伸ばすなら年金をもらうな。という一縷の望みもむなしく響くそんな具合で、最近はどこもかしこも老人しかいない気がする。年寄り向けのジムも増え、ババアさまに特化したカーブス等の店舗も近隣に増えるばかりだ。もうこの国の年金は破綻した。無理。もう絶望的に無理。なので、これからはシニア世代とやらにがんばってもらうしかない。がんばってください。世間の片隅に目を向けても若者のなんとか離ればかりで、そのぶん、老人はなにからも離れることなく、80歳になっても車を運転し、しがみつくようにそこらじゅうにうじゃうじゃいる。金をつかってもらうしかない。そこに目をつけたのがライザップであり、振り込め詐欺だったりという皮肉な相対で、この傾向は今後、さらなる発展を遂げることだろう。街並みも変わってきた気がする。整骨院もやたら目につく。健康寿命とやらは延びるばかりだ。失礼。伸びるばかりだ。かなり昔にたぶん阿刀田高氏か星野新一氏かの短編で超高齢化社会を揶揄するものがあった。あれから月日が流れ、本格的にそんな時代を迎えようとしている。60歳などは若手中の若手で、80歳でようやくオトナといったような社会。年寄りは本当にこんな社会を望んでいるのだろうか。現実的に健康寿命とやらを伸ばすと、現実的に超高齢化社会が訪れるのは必然というわけで、以前のようにタバコを吸って、安酒を呷って、ひたすら働いてぽっくりいく社会を60歳から目指すというのはどうだろう。ひとつの提言にならないだろうか。決して医者にかからず、健康診断もしない。ただひたすらぽっくりを待つ。そんな社会の実現を掲げる政党があってもいいかも。
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7月25日 午前中

米国とシナ国が喧嘩している。以前から喧嘩しているが、今回の対立はかなり険悪だ。だいたい国同士の関係悪化パターンは大使を引き上げることからはじまる。さらに大使館を引き上げたら事実上の国交断絶となる。事の発端は米国にあるシナ国総領事館の閉鎖をトランプ政権が決定したことで、これにシナ国が反発。報復措置としてシナ国にある米国総領事館の閉鎖に踏み切った。総領事館というのは大使館が本社とすると、支社のような関係。大使館がその国の首都に置くのに対し、領事館は在外自国民の保護を目的に首都以外の主要都市にいくつか置くのが一般的とされている。このたび、決定に踏み切ったのはヒューストンにあるシナ国総領事館で、シナ国の報復は成都にある米国総領事館。大使引き上げの前触れとなる。先日、習近平氏を称して、全体主義の信奉者とか、ヒューストンの総領事館はスパイ活動の拠点とか、知的財産を盗むための秘密基地とか言い放ったポンペオ国務長官が今度はこう言ってのけたことにも注目したい。「シナ国にある米総領事館はシナ国のように邪悪な活動は行っておらず、閉鎖すべきではない」ことさら強調するのは歴代政権が歩んできた対シナ政策の見直し。具体的にはパラダイムシフトという言葉で表現したが、ちなみにこのパラダイムシフトを正確に読み解くと「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう」とウィキペディアにあるように今まで当然とおもっていた対シナへの見方を変えるときがきた、と具体的にかなりとげとげしい文言で、しかも歴代政権の対シナ政策はすべて失敗だったと締めくくった。場所はニクソン大統領図書館前。強烈な皮肉でもある。貿易戦争から引きずる形でコロナ禍で深刻化した関係が香港の治安維持法も加わり悪化の一途を歩んでいる両国であるが、問題は日本の立ち位置にある。有志の民主主義国による新たな連合に積極的に参加すべきか、あるいは天秤にかけ、しばらく様子をみるか。山内一豊は良妻の助言に意を決して大博打に臨んだ。結果は20万石の大大名に出世した。得策はひとつしかないようにおもう。
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