1月26日 早朝

新しく購入した自転車に乗った。タンクトップで。途中までダウンを着ていたのだけれど、暑くて脱いだ。この時期にしては暖かい一日で、汗ばんだ肌に風が気持ちよかった。されど、この時期、タンクトップ姿は目立つというか、奇異な目で見られるというか、ひとからどう見られようとあまり気にならないほうだが、バカには見られたくない。バカと思われたくないという常識は持ち合わせているつもり。どういうことかというと、家ならまだしも1月25日の日本最低気温記念日の日にタンクトップで自転車はないだろうという客観的視点。これは必要だろう。自分を客観視できるか否か。パーソナルブランディングとかセルフプロデュースとも呼ばれる力だが、近年ほどこの力が試される時代はない。有名ユーチューバーにかぎらず、SNSを活用していない人間など、世代を問わず、いまや少数だろう。誰もかれもが発信する時代。成功する者もいれば、炎上するバカもいる。炎上して成功するバカを超越したメンタルモンスターもいる。共通するのは先程の力の有無だが、これは時代の要請なのだと割りきるしかない。割りきったところからはじめる。昔はよくこの力をセンスといったものだが、近頃はめっきり使われることが少なくなった。センスは才能と言い換えられ、センスは資質と読み間違えられる風潮。はっきり断言できるが、それは間違っている。この力の99パーセントは学習効果によるものだとおもう。吸収と実践。エネルギーの蓄積と放出といったほうがわかりやすいかもしれない。センスは代謝に似ているからだ。代謝といえば、最近、代謝が明らかによくなった。だから、冬でも暑い。原因というか、たぶんこれだろうなという理由はわかっている。ビタミンB群の摂取をはじめたからだ。なかでもビタミンB3、別名ナイアシンと呼ばれるサプリを過剰に摂っているからだとおもう。ナイアシンを飲むと、だいたい10分から30分ぐらいのあいだで、ナイアシンフラッシュと呼ばれる現象が起こる。身体中が赤くなり、かゆくなる。ヒスタミン放出による効果だが、これもひとによるのだけれど、自分は好きだ。フラッシュが現れると最近はまず手のひらが赤くなる。しばらくして、鏡をみると、目の周囲が酩酊しているような状態になる。すぐ収まるのだが、フラッシュが起きると、血行がよくなる。身体中がぽかぽかしてくる。肌の質も急に変わる気がする。ナイアシンは確実に肌をきれいにする。それで、最近、ずっと疑問だったのだけど、ようやくわかった。朝食後にナイアシンを250ミリ。酒をのむまえに100ミリとそれぞれ別のタブレットを摂るのだが、酒をのむまえにだけフラッシュが起こる。空腹だからとおもっていたのだが、違った。朝、のんでいるのは持続放出型。100ミリのほうは普通のものだった。知ってみればたわいもない。

1月25日 早朝

今日の予定。8時半から朝食。11時までにジムに向かう。12時過ぎに昼食。それから自転車の防犯登録に出かける。銀行にも寄る。焼酎を買う。その他もろもろ買い物もする。午後2時半から晩酌開始。6時に出勤。今週は木曜日以外、昼夜関係なく断続的に24時間をこなす。一月もそうこうするうち、終わってしまう。やってやる。そんな覚悟。さて、本日、1月25日はなんの日かというと、日本最低気温の日。その昔、北海道は旭川でマイナス41度を観測し、これが日本最低気温の公式記録となったことから制定された。この日にちなんで温かいものをいただきましょうと各業界が勝手に○○の日と名付けているのだけれど、このあいだの大寒の日にはクリームシチューを食べた。なぜ、クリームシチューなのだろう、何年かまえから大寒の日の定番になった。ほかには湯豆腐、おでんもいい。某アナウンサーが素鍋と称していた水炊きなどもいい。素鍋は日本料理の神髄「融通無碍」を代表する料理といえる。ほかに温もりを感じさせる食べ物としてはコンビニの中華まんなんかもいい。今日は中華まんの日でもある。これは「あったか旭川まん推進会議」というところが決めた。いろんな団体があるものだ。そういえば、酒のほそ道に中華まん晩酌という回がある。宗達は紹興酒とかワインを合わせていたと記憶しているが、ここはやはり焼酎のお湯割りにとどめをさす。もちろん梅干しをつぶして入れてね。大寒を過ぎると、次に待ち受ける24節気は立春しかない。あと、10日かそこらで暦の上では春を迎える。寒さの底は2月に訪れる、というのが個人的イメージだが、今年はどうだろう。このまま暖かくなるのか。2月になると、シオンの2月というだけの夜を聴きたくなる。2月は本当にそんな夜ばかりが続くのだけれど、昨年から少し変わった。天皇誕生日が12月から2月に変わり、休みが増えた。ただでさえ、28日と短い月に祝日がふたつ。2月もあっという間に終わりそうだ。イベントとしてはこれに節分の豆まきとバレンタインが加わる。各地の豆まきの催しは中止のようだが、バレンタインはどうだろう。ソーシャルディスタンスを守って告白するのだろうか。チョコも手渡しではなく、郵送が当たり前になるかもしれない。
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1月24日 早朝

自転車が届いたので今日、組み立てる。8割がた完成しているので、5秒で終わるとおもう。それは嘘。開梱だけで5分はかかる。グローブも届いた。素手でラットプルダウンをするのは痛いので助かる。ヤフーで500円だった。本当はボディメーカーで買うつもりだったのだけれど、3000円もするので、やめた。でも、せっかく来店したのでアウトレット商品を買ったら8点買って3100円だった。今日の予定としては1時25分になったらアタック25を観る。夜になったら酒を呑む。しかもビールを呑む。ビール系飲料といったほうがいいのかもしれないが、その分野の市場占有率でキリンが11年ぶりにアサヒから首位を奪還したというニュース。コロナ禍で飲食店の需要が減るなか、巣篭もり消費は順調というわけで、自宅では値段の高いビールよりも発泡酒、第三のビールが好まれる傾向にある。飲食店の一番人気はやはりアサヒスーパードライなのでコロナ禍が直撃した結果なのだろう。スーパードライの成功と発泡酒の登場は経営学でもよく取り上げられる課題で、当ブログでも何度か触れたとおもう。過去の成功体験が新市場参入への一歩を阻害するというもの。ホンダのワンボックス、ソニーのウォークマンなどがある。アサヒとキリンの首位争いをぼけっと眺めつつ、最近、個人的にはまっているビール系飲料があり、これがサッポロ極ゼロというもの。これがおいしい。すこぶるおいしい。糖質ゼロ、プリン体ゼロ、人工甘味料ゼロ。罪悪感もかぎりなくゼロ。なのにアルコール分が5パーセントもある。分類でいくと発泡酒なのだけれど、第三のビールと10円しか変わらない。それでこのおいしさ。味わいはビールというよりサイダーに近い。されどビールののどごし。チューハイのようなかんじではない。キャッチフレーズがまたいい。「おいしいものをゴクゴク楽しく気兼ねなく」アサヒがなんだって?キリン?あんだって?あたしゃサッポロだよ。そういえばニューミュンヘンもサッポロ生ビールだったな。昔からサッポロとは相性がいいのかもしれない。安安にいけばスーパードライ、鳥貴族では金麦、吉鳥では一番搾りを呑むのですけどね。
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1月23日 午前中

ずっと読みたかった小説があるのだ。文庫本にしては高かったので、購入するのを躊躇していたのだ。ひとによっては躊躇する額ではないかもしれないが、今まで買った最も高い文庫本は内田百閒先生の1000円が最高だったのだ。それよりも高いのだ。たかが、文庫という意識もあるのだろう。それが、楽天で540円だったのだ。ほんまかなと思いつつ、ポチッたものが昨日、届いたのだ。平成23年11月25日発行のもので、カバーもついていた。表紙もきれいだった。落丁もない。ページもきれい。落書きもない。パーフェクトと呼べないこともないよい買い物をしたのだ。その本の名は「根津権現裏」著者は藤沢清造。多くのひとと同様、西村賢太氏を通じて知った大正期の作家。西村氏の著作としては芥川賞を受賞した苦役列車のほかに歪んだ忌日というものも持っており、この作品の放つすさまじい破壊力はいまもって読む者を魅了するのだけれど、表題作である歪んだ忌日というのは藤沢清造氏の忌日のことであり、詳細は割愛するが、師に対する奥深い熱情はこの作品の通奏低音であり、他5篇の私小説とは明らかに異なる。西村氏はとにかくテンポのいい作家で、現代仮名遣いでありながら数々の効果的な文学表現は畢竟、藤沢清造氏の影響を色濃く反映している。それは根津権現裏の冒頭からも感じ取れる。こんなにぞくぞくとする入り方はもしかするとグレートギャツビーをはじめて読んだとき以来かもしれない。ただ、あちらは翻訳版。西村氏の監修とはいえ、こちらはれっきとした母語の余韻にぞくぞくするのだった。藤沢清造氏の最期は昭和7年1月29日。ちょうどいまと時節をおなじくするころ、公園のベンチに凍った状態で発見される。貧困と不遇、困窮と失望。本人曰く貧しきものの辛苦と悲惨。藤沢清造氏を形容する言の葉はいかような連なりを以て今も語り継がれる。もちろん、その言の葉は現代社会においての西村作品へと昇華するのだが。藤沢清造という作家に興味を持ったとき、長谷川利行のときと同じ思いを抱いた。こんな作家がいたのか。あの当時、大正から昭和にかけての激動の時代にはめずらしくはなかったのかもしれないひとり。いったん、しおりをはさんでおいて、西村賢太氏の解説から読むのもありかもしれない。藤沢清造の代表作、根津権現裏。物語はまだはじまったばかりだ。
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1月22日 午前中

ヤフーショッピングのぞろ目の日。7パーセントクーポンを獲得するため、早起きするはずが目を覚ますと7時だった。速攻、開いたが、間に合わなかった。仕方なく、5パーセントオフのクーポンで購入しよう。何を。永遠を。ではなく、自転車を。それも折り畳み自転車を。現在、かごなしのクロスバイクに乗っているのだけれど、やはり、近場の買い物のときとか、かごつきのほうが便利だろうというわけで、買うことにした。いわゆるミニベロだが、6段切り替えもついているし、半径2キロ圏内なら十分、活躍するはずだ。活躍といえば、今年は表現活動のよりいっそうの発展を目指しているので、範囲の幅を広げる。掘り下げてみると、絵を観ること以外は自分でつくり上げることのほうが好きかもしれない。人間にとって一番、幸せなこととはなんだろう、と以前はよく考えたものだが、ある日、明確な答えを得た。それからはその明確な答えに向かって突き進むことにして、今に至るのだけれど、思い浮かぶかぎり、一番、幸せなひとをひとり挙げるとするならば矢沢永吉氏だとおもう。モノづくりをしてそれで資産を築く。単なる錬金術でもなく、ただの趣味でもない究極の人間としての生き方。もし、神の御意志があるとするならば、このあたりにヒントが隠されている気がする。人間は善意をもって行動すると、喜びが芽生える。後ろめたいことをすれば気分はすぐれない。これは正しい思考だ。なかには薄汚れた手で真実を語るつわものもいるが、おそらく自分はそういった人間ではない。そういった人間にはなれない。外はどしゃぶり。世間はコロナ禍。外出自粛の緊急事態宣言。悪いことばかりでもない。モノづくりをするにはいい環境だ。最近はクリエイターに求められる素質も変わってきて、裏方も全部やる人間が増えてきたし、時間はいくらあっても足りない。足りなくても増やせないのが時間の揺るぎないところで、おカネとの違いはここなのかもしれない。今以上にスピードアップするしかない。
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1月21日 早朝

バイデン米国新大統領が就任した。揉めに揉めたように報じられるが、当初の想定よりはすんなり行ったような印象を受けた。おそらく揉めに揉めるのはこれからだろう。米国の分断、ひいては世界の分断も収まる気配はない。唯一の調和は皮肉にもコロナ禍によってもたらされるのかもしれない。米国ではとうとう被害者数が40万人を突破した。最悪20万人と想定された数字の倍。これがトランプ元大統領にとって致命的失政だったことは疑いようがない。つい最近、ある週刊誌が「トイレのハンドドライヤーを止めているのは世界で日本ぐらい」とまるでハンドドライヤーの害がないような、日本の対策を揶揄するような論調を載せていたが、こういうバカの説得力のなさが米国の被害者数につながったのだろう。ハンドドライヤーを使うキチガイに長年、悩まされてきた人間にとって、本当に世の中がよくなっていく変化の毎日を実感できる。密を避けるには単純に距離が必要というわけで、試験では隣同士が引き離され、行列にも一定の間隔が設けられ、飲食店では飛沫感染予防の仕切り板導入が一般の感覚となった。手洗いうがいはもちろん、以前は各自で持ち歩いていたアルコール消毒液も店舗設置が当たり前となった。数え上げればきりがないが、衛生概念の変容が一目瞭然の世間にあって、特色のない指摘や批判や流布や風潮のはびこる隙間は確実に狭くなってきている。アホで危険な戯言は2400万人を超える感染者数を出した米国を見倣えといっているようにしか良識民の耳には聞こえない。マスクを外すな。近寄るな。勤務先でも手洗いうがい。一日三回は風呂に入れ。行為のまえにもシャワーを浴びろ。ハンドドライヤー?叩き壊せ。室内では靴を脱げ。アルコール消毒よりもまず熱い風呂に浸かれ。まくしたてて喋るな。しゃべりながら食事をするな。握手をやめろ。おじぎをしろ。顔を近づけるな。卵かけごはんのできる卵の品質を確保しろ。生魚を衛生的に食せる知識を身につけろ。清潔なトイレを。ウォシュレットを。服を着替えろ。服装にちょっとは気を使え。頭を洗え。髪を梳け。ああ、汚い、なんて不潔なんだ。親愛なる醜穢の王様ブコウスキーの「テキサスの売春宿」から一文引用して終わろう。「あんたが気に入ったからいいことをおしえるよ。でも内緒だぜ。こんなに図体がでかくても村八分にされるのはこわい」「そんなもんかね」その大男はもたれかかるようにして私の耳に口を近づけていった。「テキサス人はくせえんだよ」
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1月20日 早朝

閉店ラッシュが身近なところまで迫ってきた。おもえば、昨年のこの時期、開催中止の雨あられはスーちゃん祭りからはじまった。これを機にヴィレバンのお宝発掘セールもなくなった。桜祭りもなくなった。そして、4月に入り、緊急事態宣言が発出された。今年のスーちゃんはどうだろう。だいたい2月の終わりか3月の始めに催されるのが通例だけれど、たぶん無理だろうなとおもっていたら店自体が2月を以て閉店することとなった。ありゃ。近隣のスガキヤはこれで消滅することになる。昨年の10月は天下一品祭りも中止だった。あまり外でラーメンをいただく機会はないので、こうしたイベントは重要だったのに。見慣れた風景が一変すると、いやがうえにもコロナの影響が目に映りだす。見えないウイルスが可視化できるというか。今朝の朝日新聞の経済面に「飲食業倒産過去最多に」の見出し。これによると、2020年の飲食業倒産は前年比5、3パーセント増の842件で過去最多。大阪は東京の143件を上回る152件。胸の痛む現状に常連客としてももうどうしようもないというか、毎週のようにに通っていた焼き肉アンアンも緊急事態宣言を受けて、時短ではなく、2月7日まで休業すると発表した。正直、8時営業終了、酒類の提供が7時まででやっていける夜の店などあるのだろうか。材料費、人件費を考えたら休業するほうが得策と判断したのだろう。閉店過去最多と同じページの上部にクラブ山名のママのインタビュー記事が載っている。山名氏がいっているように今回の時短要請によって飲食店は明暗を分けた。最も割りを食ったのは酒類提供がメインの店だ。だいたいバーやクラブといった二軒目、三軒目の店などは8時といえばまだ始まりの時間にさえ満たないのではないだろうか。どうして8時なのですか。8時までなら感染者は出ませんか。ママの悲痛な叫びであり、万人の素朴な疑問でもある。「せめて10時まで商売させてほしい。いままでのようにお客様が戻らなくとも10時までなら十分、商売ができる」山名のママはそう訴えかける。難しい線引きだが、政治判断が求められる。
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1月19日 早朝

もういいかげんパソコンを買い換えようと。すると、パソコン周辺も再構築しなければならないと。また、一から整備するのかと。もう考えるだけでいっぱいいっぱいになってきた。再構築のビジョンは明確なのだけれど、普段の生活リズムを崩さず、時間と体力と知識吸収する労力を捻出するにはもう目一杯。ここ数日はブログもやっつけで、一定のクオリティを維持するには推敲も含め、最低1時間はほしいのだけれど、約1000文字のノルマを20分でこなしている。毎日のジム通いも最低1時間。移動時間が1分というのがせめてもの救いだが、その1分が惜しくて走って帰る。これがいけなかった。いつもはジムバッグを背負って出かけるのだけれど、日曜は夕方に慌ただしく用意し、グローブをダウンにつっこんだだけで何も持たずジムに向かった。結果、帰りにどこかで落とした。探す気力もない。たしかなのは自宅のどこにもないということだけ。おもえば、いまのライフスタイルの発端は宴時間と睡眠時間を削りたくないという理由によるものだった。呑んでる時間と寝てる時間をどう仕事に結びつけるか。仕事、と表現するとわかりづらい。たとえば、呑んでる時間を水商売と絡めるとこれは呑んでる時間ではなく、働いている時間となる。仕事と格好つけたのがいけなかった。どうおカネに結びつけるか。これもじゃっかん異なる。おカネはわかりやすい成果だから、あながち間違いではないが、正確にいえば、いかに無駄をなくすか。無駄な時間を減らすか。この発想から生まれたライフスタイル。昨日は午後6時過ぎには出かけなければならなかったのだけど、そうすると、朝食が8時半スタート。プロテイン摂取が11時40分ぐらい。昼食が12時21分開始。晩御飯は2時半にはじまった。昼食のダッチオーブンシチューをいただいてから2時間後に晩酌スタート。終了が6時前。次の食事開始がいまから帰って1時間後ぐらいなので、計算すると15時間ほど間隔が空くことになる。まず、シャワーを浴びて、 朝食後は1時間の仮眠。それからジムへ出かける。帰ってきてからゆっくりバスタブに浸かる。バスソルトは最近お気に入りの元気風呂。昼食は12時目標。今日は午後8時過ぎに出かけるので晩酌は3時半から4時に開始。昼食後は買い物にもでかける。この時間割を守り、リビングのメインスペースの再構築を目指す。現状40インチと28インチのデュアルモニターを40インチ3枚のマルチに変える。そのためにはまず、横のマガジンラックを撤去し、120センチのテレビ台を設置しなければならない。マガジンラックの膨大な本や資料は回転ラックを購入し、なんとか書庫に納める予定。できるかどうかは未定。正面の180センチのテレビラックに40インチ2枚をなんとか角度をつけて置く。左手の120センチにもう一枚。マルチなので従来の接続方法では無理。これも学習。とり急ぎ、ニューヨークの24時間を本棚から引っ張り出してこよう。
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1月18日 午前中

ニトリでダッチオーブンを買った。別段、キャンプに行く予定もないし、屋外で使う気もさらさらないのだけれど、鉄製という理由だけで購入した。これで鉄鍋が3つになった。用途によって使い分けよう。とりあえずダッチオーブンでしたいことはローストチキンなのだけれど、使い始めは炙りイカになるとおもう。スライスした玉ねぎと人参を底にしき、小型のヒイカを上に並べる。味付けはヒマラヤンソルトのみ。にんにくとショウガは入れるかもしれない。オリーブオイルも垂らす。これで火を入れ、待つこと5分か10分。これをメインにもうひとつの鉄鍋でクリームシチューをつくる。今日、つくってしまうが、毎年、恒例のメニューとして大寒の日のクリームシチューは欠かせない。今年は20日。あさって。あさっての朝はクリームシチューをふーふーいいながら頬張る。具材はにんじん、たまねぎ、白菜、ブロッコリー、とりにく。アスパラも安かったら入れよう。もちろん、牛乳で煮込み、コンソメで味をつける。コンソメがなければ昆布茶だ。コショウをたっぷり振って、ごはんにかけてもいいし、スープ皿によそって啜ってもいい。とにかくクリームシチューをいただくのだ。以前はクリームシチューの素みたいなものを使用していたこともあるが、あれはそのままお湯に溶かして飲むとカップスープになることを知って、それからはカップスープの素という認識になった。固形のものは買わない。安くても買わない。100円以下なら買うかもしれない。なぜか、固形のルーはどうしてもカレーというイメージがあって、ハヤシライスとかビーフシチューとかどうしても使う気にならない。そういう意味での典型的なもののひとつとして鍋の素がある。これはマツコの知らない世界で紹介されていたのをたまたま昨日、GYAOで観たのだけれど、これが解せない。されど、世の中、解せないことばかりなので、他人の庭を垣間見るような心持ちで眺める分には楽しかった。持論として鍋料理は最初に味を決めてはならない。具を追加し、水をつぎ足し、そうこうするうちにスープが独自のカラーを発揮する。鍋の素でも変化は楽しめるのだろうが、それは退化する変化であり、変化は人間同様、成長の変化でなければならない。なので、最初はポン酢、最近は白だしをつけ出汁にするのも気に入っている。たいてい酒を呑みながら鍋をつまむ。途中でスープにヒマラヤンソルトをフリフリして味をつけたりする。ごま油を入れると、締めではないが、麺を投入する。このころになると酔っぱらって舌が回っていない。パスタを入れたり、乾麺のうどんをそのまま入れたり、はるさめを投入したりもする。そういえば、すっかり一人鍋をしなくなった。原因はわかっている。酔っぱらってそのまま寝てしまい、部屋中、真っ白にしてしまったからだ。たとえ空焚き防止機能付きのIHであっても部屋は真っ白になるのだと知った。ひとり鍋は控えるようにしている。鍋は大勢で囲むにかぎる。
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1月17日 早朝

阪神大震災から26年が経った。今朝の朝日新聞の一面に巨大災害のボランティア人数の比較が載っていた。一位は阪神大震災の216万人。二位が東日本大震災の154万人。95年はボランティア元年と呼ばれていて、この年を機に各自治体でさまざまな取り組みが行われているのは知っていたが、こうやって改めて災害の数を見ると、いかに近年が異常かよくわかる。以前もこのブログで書いたが、ボランティアのもともとの意味は志願兵でその由来は古代ローマ時代にまでさかのぼる。今もたいして意味に違いはないとおもう。ボランティアは志願兵なのだ。ちょっとまえ、スーパーボランティアの尾畠さんが話題となったが、昨今のボランティアの参加者には高齢のひとも多い。95年を機に豊中市では災害時に対応できる見守り活動をはじめた。これが功を奏したのが2019年6月18日に起きた大阪北部地震で、わずか4時間で地域内全員の安否確認を取ることができた。これはテレビの特集でやっていたから自分同様、観たひとも多いとおもう。地震のあとの復興を担ったのが――こういういい方は失礼かもしれないが――暇を持て余す老人たちだった。リタイアしてすることもなく、かといってひとの世話になるにはまだ早い矍鑠とした元現役。この元現役という部分を強調したのはこれもまた意味がある。つい先日も雑誌の表紙に似たようなことが載っていたが、人様に提供するものなど何もないと思いこんでいるひとが多すぎる。ぜひ自分自身の棚卸をしてほしいとこれは常日頃、思っていることなのでこちらも声を大にしていいたい。豊中にかぎらず、あのとき、脚光を浴びたのがボランティアパワー、平たくいえば素人力だった。施工会社のプロが軒並み手が回らず、いつまで経っても壊れた屋根や看板が放置されていた。とにかく災害規模が大きすぎて、業者の数がどこもかしこもまったく足りていなかった。豊中の場合、地域を救ったのは先ほどの老人たちだった。現役時代、何かしらやってきたひと。なかには元左官屋のひともいたし、電気通信会社に勤めていたひともいた。そういうひとたちが続々と集まった。やがてそれは大きな波動となり、地域の復旧に貢献することになる。今般のコロナ禍でも注目を集めたのは現役を退いた元医師や元看護師の存在だ。五月のある日にあるひとは最後の社会貢献だと老人の背中を押した。8月のあの日にあるひとは老害と呼ばれたくなければ無償で働けと老人を蔑んだ。11月にしては暑い日だったがあるひとはいった。怒鳴るようにいった。人生に退職はない。老兵は介護される側にあらず。前に倒れるそのときまで、身を粉にして働け。年金を給料とおもいましょう。
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